神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

慶應卒業を控えた竹田龍児の就活

相変わらず就職戦線は厳しいようだが、昭和9年慶應義塾大学卒業の竹田龍児も、苦労したようだ。昭和8年12月24日付け三好達治桑原武夫宛書簡によると、

これは少し私的のことになりますが、貴兄の友人で天理外語(?)に勤めてゐられる方(略)は、何といふお名前だつたかしら。僕のフィアンセの兄の、来春慶應東洋史科を出るのが、天理の図書館に入りたく望んでゐるので、出来れば貴兄に紹介して頂きたく思つてゐます。なおこの青年は、願ふことなら、東方文化研究所へ、小川茂樹君の行つてゐられるあそこへ入りたく志望してゐるのですが、あそこは帝大系なので、半ば諦めてゐるのですが、もし慶應を出てから、京都の帝大にでも籍を置き、なほ勉強も続けてもいい境遇なので、或はさうすることがよければそのやうにしたいと思つてゐます。
(略)佐藤春夫の甥で、佐藤氏に起居してゐます。
小石川区関口町二〇七 佐藤龍児

龍児は、9年3月慶應義塾大学文学部東洋史科卒。10年4月〜12年3月私立大阪成器商業学校、14年8月〜15年3月華北交通株式会社資業局資料課に勤務。14年4月泉鏡花夫妻の媒酌で谷崎鮎子と結婚。15年4月から慶應義塾大学予科教員。天理図書館も東方文化研究所もだめで、一年就職浪人したのだろうか。

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田丸ヒロ子『パリジャンと思って結婚したら、ただの貧乏なオタクでした。』(双葉社 、2010年6月)。わしとか、誰ぞと結婚すると、『古本オタと知って結婚したが、ここまでヲタだったとは・・・』という本が書けるかも。

パリジャンと思って結婚したら、ただの貧乏なオタクでした

パリジャンと思って結婚したら、ただの貧乏なオタクでした