神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

谷崎潤一郎

 限定私家版『細雪』の行方を追え!(その4)

限定版『細雪』の寄贈先も4人目。手持ちは後二人ある。 正宗白鳥「文藝時評」『新生』昭和21年2月号によると、 『細雪』は二度読んだ。昨[ママ]年(昭和十九年)七月、非売品として、二百部を限り印刷された細雪上巻の特種本を、著者から寄贈されたので、兎…

 限定私家版『細雪』の行方を追え!(その3)

3人目は古川緑波。『古川ロッパ昭和日記』によると、 昭和19年9月20日 昨夜からの「細雪」耽読、食ひものゝ出てくるところが、たまらない。(略) 「細雪」読む了った、やっぱり、いゝものだった、香気の高い果物、チーズスーフレのやうな味。谷崎先生への…

限定私家版『細雪』の行方を追え!(その2)

出久根達郎「続・作家の値段」によると、谷崎潤一郎の限定私家版『細雪』上巻の相場は、「署名入りで二十万から二十五万円。署名なしだと、十五万から十八万円かな」という*1。さて、この限定私家版の昭和19年刊行時の寄贈先について。川端康成の日記による…

限定私家版『細雪』の行方を追え!(その1)

小谷野敦『谷崎潤一郎伝』によると、昭和19年7月に発行された限定私家版『細雪』上巻は、宇野浩二、永井荷風、土屋計左右、渋沢秀雄、志賀直哉、舟橋聖一らに恵贈されている。この他に、木下杢太郎にも贈られていたことは、昨年1月15日に言及したところであ…

谷崎潤一郎と松本正雄

『みすず』7月号の田中眞澄「ふるほん行脚」は、第55回「丘を越え東松原−駒場東大前篇」。駒場東大前駅側の河野書店にて松本正雄『過去と記憶−ファシズムと闘った人びと』を百円で拾っている。そして、「この松本が左傾以前に佐藤春夫や谷崎潤一郎の門に出…

東京朝日新聞の挿絵画家名取春仙

小谷野敦『猫を償うに猫をもってせよ』所収の「児童文学をめぐって」に、明治40年朝日新聞の嘱託となり、2年後に正式入社した挿絵画家名取春仙が出てくる。名取が東京朝日新聞で挿絵を書いた連載小説は、小谷野氏が挙げているもののほか、谷崎潤一郎「鬼の面…

萩原朔太郎と谷崎潤一郎の別れ

小谷野敦『谷崎潤一郎伝』に、「谷崎は概して礼を失するようなことをしない人だが、朔太郎に対してだけは、妙に礼儀を外しており」とある。しかし、さすがに朔太郎(昭和17年5月11日没)の葬儀には出席していた。 津村信夫の日記によると、 昭和17年5月13日 …

サンマー英学塾

谷崎潤一郎が通ったというサンマー英学塾。J・サマーズの未亡人エレン夫人、次女キャサリン、三女エレン(リリー)が教師を務めていたのだが、跡見花蹊日記にそれらしい人の名前が出てくる。 明治25年8月6日 (来客)サンマルス母及び両嬢来。 26年8月7日 サ…

美人のあるところ、谷崎あり

「文藝雑事」(『日本及日本人』大正7年6月1日号)によると、 日向きむ子が一中節をよしたのと入代りに、売文業社堺枯川の奥さんが新たに長歌のお稽古を始めた。(略)或る物好きが其の動機を枯川に訊ねると、枯川哄笑一番、「なアにね、あゝして置けば、あ…

 引越魔、谷崎潤一郎

『文章世界』の「現代文士録」で、谷崎の住所を拾うと、 第7巻第3号(明治45年2月15日) 本所区向島中之郷三十一、笹沼別荘内 第8巻第4号(大正2年3月15日) 同上 第9巻第4号(大正3年4月1日) 日本橋区箱崎町四丁目二番地 第10巻第4号(大正4年4月1日) 同…

谷崎潤一郎の妻千代と辰野隆

『随筆サンケイ』昭和34年7月号の「随筆寄席」の座談会は、辰野隆、徳川夢声、林髞のレギュラーと大下宇陀児。 辰野 (略)わたくし当時法学士になったばかりなんで、中禅寺湖を見に行こうと、悪い仲間四、五人と前橋まで行ったら、汽車がとまっちゃったんだ…

ダントツ一位の谷崎の原稿料

田中純「お大尽貧乏里見紝」(『作家の横顔』所収)に、 ここで当時の(大正初期の)原稿料の相場を披露すると、その頃、春陽堂の顧問格の鈴木三重吉の作った価格表があったが、それによると最高が一円で、秋声、花袋、藤村級。但し、谷崎潤一郎だけは、中央…

谷崎一族の多事多難

谷崎精二「日記」(『新潮』昭和2年12月号)によると、 十一月三日 正午頃眼を醒すと伯父が来て茶の間で待つて居る。急いで顔を洗つてから伯父と対談。予想した通り伯父の用談は無心だつた。伯父から金策を頼まれたのは今始めてゞはないが、今度は大分金額が…

にきび面の谷崎潤一郎

戦前国民精神文化研究所長を務めた関屋龍吉の回想録『壺中七十年』によると、府立一中時代のこととして、 私の次のクラスには谷崎潤一郎君がいて、その頃すでに文学的天才として先生方に認められていたが、いつも満面ににきびをうかべ運動場の片隅で読書にふ…

辰野金吾・隆一族の謎(その2)

谷崎潤一郎の養女恵美子が、観世榮夫と結婚する前に見合いをした一人が星新一だったことは昨年5月8日に言及したところである。もう一人、辰野の親戚とも縁談の話があったらしい。谷崎の昭和26年10月25日付け和辻哲郎宛書簡によると、 大兄も御存知の筈の○○○○…

後藤新平の秘書小野法順

『正伝・後藤新平』第8巻に後藤新平の秘書として小野法順という人が出てくるのだが、まさか谷崎ゆかりの元坊主の小野法順のわけはなかろうと思い込んでいた(昨年9月29日参照)。ところが、既に細江光先生が小野に関する文献を紹介していた。 「谷崎潤一郎…

 萩原朔太郎と谷崎潤一郎の妻千代

谷崎潤一郎の妻千代に言及した書簡がどこかにあったはずだと思って探したら、ようやく見つかった。 萩原朔太郎の北原白秋宛大正4年6月5日付け書簡*1によると、 谷崎潤一郎氏の新夫人は昨年まで前橋の花柳界にて初子*2と名乗り第一流中の第一位の美妓として名…

 英文学者澤田卓爾の経歴

澤田卓爾の経歴が判明。猿渡重達「季刊「日本橋」第1号〜第4号内容細目 前編」(『聖マリアンナ医科大学紀要』第30号、2001年5月)によると、永井荷風・谷崎潤一郎・佐藤春夫・泉鏡花らが監修した季刊『日本橋』創刊号(昭和10年5月)に澤田が「毛抜鮓」を執…

谷崎潤一郎の懸賞論文

辰野隆が『忘れ得ぬことども』における野村胡堂との対談で、谷崎潤一郎について 小学校のときにネ、当時の「中学世界」に『西行を論ず』という論文を書いて、懸賞に当選してるんだ。少年文士だったんですよ。 と語っている。この懸賞論文については、「谷崎…

谷崎潤一郎の義兄小林倉三郎

『日本の有名一族』に、谷崎潤一郎の最初の妻にして、後に佐藤春夫夫人となる千代の姉妹として、初子・せい子が挙がっているが、倉三郎という兄もいる*1。谷崎の弟終平の「回想の兄・潤一郎」によると、 兄嫁の兄に当る人で小林倉三郎という人がいました。太…

谷崎潤一郎と怪談会

泉鏡花の年譜を見ていると、谷崎潤一郎の名前を幾つか発見。そのうちの一つに、大正3年7月12日の条があって、画博堂主催の「怪談会」に、鏡花の他、長谷川時雨、喜多村緑郎、吉井勇、長田秀雄・幹彦、谷崎潤一郎、岡本綺堂、坂本紅蓮洞、松山省三、鈴木鼓村…

『小説永井荷風傳』上の澤田卓爾

佐藤春夫の『小説永井荷風傳』を見る。 この瀬沼氏といふのは荷風よりは少し年長なほどのわたくしの畏敬する老友で、荷風よりも早く、と云つて禾原翁*1ほども舊くはないが、家庭を悪んでひとり海外へ飛び出し、あめりかで苦学して、文学の造詣も浅くないから…

永井荷風と澤田卓爾

『考證永井荷風』の秋庭太郎が澤田について多少詳しく書いている。 同月[昭和7年10月]十四日夜、荷風は銀座オリンピックに於て日本大学教授澤田卓爾、同岡本隆治と逢つた。(略)澤田は荷風と同年輩の浜松出身の英文学者、明治大正の文学に造詣深く、谷崎潤…

坊主になった澤田卓爾

谷崎潤一郎の友人、澤田卓爾が『武林無想庵追悼録』に出てきた。 関根大仙(天台宗大僧正文学博士、駒沢大学教授)によると、 世界第二次大戦の真最中であったと思うが、谷崎先生や、佐藤先生の友人である、沢田卓爾君が、私の弟子になって僧籍に入り、坊主…

谷崎潤一郎と澤田卓爾

野上弥生子の日記から。 昭和7年6月19日 その留守に佐藤春夫の紹介で沢田と云ふ人が来訪。長く米国に行つてゐた人で、佐藤や谷崎の友人の由、ちもとのお菓子をどつさり持つて来た 子供たちから大に賞揚される。 6月26日 父さんには朝この間佐藤春夫の名刺を…

 文学部長の独裁

『本間久雄日記』というのは、人名索引があればもっと活用されるのだろう。こんな一節もあった。 昭和35年12月28日 引きつゞき午後二時頃大沢実君来る。茶の間に通し、学校内の裏話など種々きく。(谷崎氏の独裁、取巻連の横暴其他)此間に処にしての大沢君…

谷崎潤一郎と後藤末雄

久保田万太郎が谷崎潤一郎と後藤末雄について書いていてくれた*1。 −忘れもしない、後藤末雄が高等学校へ入つてまだ間もないとき、「べつたら市」といふ詩を学校の雑誌へ出して、大へんに学校の先輩からほめられた、後藤はすつかり得意になつた。さうして、…

『江戸川乱歩小説キーワード辞典』に「比佐子」あり

『江戸川乱歩小説キーワード辞典』(東京書籍、平成19年7月)は高いので座り読み。 カフェー、上山草人、山窩、神保町、谷崎潤一郎、図書館、古本屋なども立項されている。 「鳩、ハト」を見ると、6作品に登場しているらしい。そのうち、伝書鳩として登場す…

谷崎潤一郎を聞く二十歳の青木正美

後に反町茂雄にどつかれる青木正美が初体験を済ませ、古書店を開業することとなる昭和28年。 青木の二十歳の原点、『二十歳の日記』(東京堂書店、2003年1月)を読んだ。 昭和28年4月11日 十時だ。家でラジオの谷崎潤一郎の談話を聞いて来た。聞き手は中央公…

まさか、あの小野法順か!?

小野法順といって、その名前に心当たりのある人は、谷崎潤一郎の研究者だけであろうか。いや、谷崎の研究者でも小野の名前を覚えている人は少ないだろう。 明治45年6月末、汽車恐怖症だった谷崎が東京へ戻る際に、名古屋まで付き添った人である。 『天羽英二…