神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

谷崎潤一郎「晩春日記」はどこまで真実か

安藤礼二氏が『すばる』の連載で、『谷崎潤一郎伝』の次の一文を引用したので、猫猫先生もお喜びのようであった。

特に谷崎潤一郎をかわいがらなかったこの実母の死について、谷崎が衝撃を受けたという資料は見当たらない。

谷崎の実母が丹毒にかかり、大正6年5月に亡くなるまでの状況については、「晩春日記」で描かれている。この中で、谷崎は自分も一緒に見舞いに行くという妻千代をとめるが、その後先回りして来ていた妻をにらんだとしている。しかし、谷崎と親しかった武林無想庵の『むさうあん物語40』(無想庵の会、昭和42年3月)には、

もうすこし先に谷崎潤一郎が住んでいた。若い時国芳芳年のモデルになったという彼の母親が、丹毒病にかゝり、日本橋の実家でねていたので、千代子夫人を看護にやっていたさいだった。
−−丹毒はうつるとこわいから僕はいかないんだ・・・と潤一郎はいっていた。

とある。また、同日記の別の一節に対して、千代は佐藤春夫にそんなのは嘘だと言ったという。「晩春日記」の記述よりも、無想庵の回想の方がいかにも谷崎らしいと思われるが、どうだろう。