神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

今東光に生田長江を紹介したのは誰だ?

今東光の文壇巷談 谷崎先生にだけは頭が上がらなかった」(聞き手:梶山季之*1によると、

 そもそもはね、久米(正雄)さんと知り合ったわけだ。これはたぶん、関根正二だの、上野の連中だのの絵描き仲間として知り合ったんだな。それから久米さんに、生田長江さんを紹介された。(略)この長江先生のところへチョクチョク行ってるうちに、佐藤春夫を紹介してくれた。その佐藤の家に谷崎先生がよく来ていたんで、先生のところにも出入りするようになったんだね。そういう順序ですね。

「上野」は、上野の東京美術学校のことか(もしかしたら、上野山清貢)。小谷野敦久米正雄伝』巻末の略年譜の大正7年5月29〜30日の条に「国民座指導役となり、生田長江「円光」と「地蔵教由来」を演出、有楽座。群集には関根、上野山、今東光佐佐木茂索が出て舞台裏では東郷青児がアコーデオンを弾く」とある。なお、今の別の著作では、東郷の紹介で関根を知り、久米が演出を担当し、関根が絵を描いた生田の「円光」が有楽座で開演された時、関根から生田を紹介されたとある。生田を今に紹介したのは、久米か関根かどっちが正しいのだろうか。

*1:『噂』昭和47年2月号