神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『神保町が好きだ!』5号の「芥川龍之介と谷崎潤一郎」への補足

『神保町が好きだ!』5号(本の街・神保町を元気にする会、2011年10月)が出た。目次は、

[特集]作家が語る・わたしと神保町
・ぼくのふるさと神保町 浅田次郎
・学生の街だった神保町 奥本大三郎
・神保町が世界遺産になる? 角野栄子
・映画と酒の街 出久根達郎
・いろいろの思い出 森絵都
<文士が歩いた神保町>
芥川龍之介谷崎潤一郎
神保町の基礎知識
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このうち「芥川龍之介谷崎潤一郎」は、芥川が『新潮』大正13年2月号に書いた「人間随筆(其三)−−最近の谷崎潤一郎氏」の大見出しのもとに書いた「紅薔薇の様なネクタイ」の話*1である。芥川は、この一文で、ある初夏の午後、谷崎と神田をひやかしに出かけ、裏神保町のカッフエで女給が谷崎の赤いネクタイをほめたことを書いている。「芥川龍之介谷崎潤一郎」は、この時期について、震災前か後なのか定かではないとしている。しかし、芥川が谷崎と神保町のカフェーに入った時期が明確な事例が一回だけある。芥川の「「我鬼窟日録」より」『サンエス大正9年3月号によると、

(大正八年)
五月二十六日(略)午後谷崎潤一郎来る。赤いネクタイをしてゐた。夕方一しよに菊池を訪ふ。留守なり。ミカドにて夕飯、それから神田の古本屋を門並ひやかす。神保町のカフエーへはいつた。給士女が谷崎のネクタイを褒めた。白山まで歩いて分れる。帰つたら十二時半。

これが、芥川が大正13年に書いた「最近の谷崎潤一郎氏」に該当するかは疑問もあるが、候補の一つであることは間違いないであろう。