神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

瀬戸内寂聴の夫だった酒井悌国会図書館副館長

高見順の日記に、 昭和38年4月3日 上野図書館長が瀬戸内晴美さんのもとの亭主だったと言う。彼女から妻が聞いたと言う。この人は私の印象では、実にいい人だった。 とある。この頃の国会図書館支部上野図書館長は、酒井悌である。酒井の経歴を『図書館関係専…

関東大震災と中山啓(中山忠直)の詩

東日本大震災の発生で、関東大震災時の文学者の対応が注目されているようだ。そこで、詩話会編で刊行された『震災詩集 災禍の上に』(新潮社、大正12年11月)を紹介しちゃう。「編集後記」によると、白鳥省吾、川路柳虹、百田宗治が委員となって、「この吾々…

戦時下の中山忠直と小辻節三

白柳夏男編『戦争と父と子 白柳秀湖伝』所収の『東京籠城日記』によると、 昭和20年2月5日 寺島と談半ばにしてヘブライ博士(小辻)と称するもの、沼津なる中山忠直の原稿を持参、混雑の事情を話し玄関にて帰す。 元気横溢せる千倉氏が漸く悲観の色あるも爆…

北昤吉の弟子中山啓=中山忠直

中山啓(中山忠直)については、『日本近代文学大事典』に「大学卒業後、前田河広一郎編集長の「中外」編集部にいたことがあり、尾崎士郎や松本淳三と交わる」とある。このうち『中外』編集部にいたという点は、満川亀太郎の日記で確認できる。 大正10年4月1…

もし作家・比較文学者の小谷野敦が『川端康成伝』を書こうとしたら

猫猫先生こと小谷野敦氏が、久米正雄の評伝を書いていることは一時期企業秘密だったという。しかし、オタどんは既に2009年10月14日に予言をしている。もっとも、『谷崎潤一郎伝』や『里見とん伝』同様、生誕120周年に合わせた刊行ということまでは気が回らな…

日本におけるニコライ・レーリヒ受容史

サイババが死んだみたいなので、ニコライ・レーリヒのネタを。ん、どういう関係があるんだ? 戦前の日本におけるレーリヒについては、2009年5月1日に言及したが、 ・大正15年6月 竹内逸訳『美と慧知の生活』(聚芳閣学術部) ・三浦関造「米国に気を吐く管[…

ぼんさん、ぼんさんと呼ばれた中央公論社出版部長篠原敏之(篠原梵)

一部で篠原敏之(篠原梵)が注目されておるようじゃ。そこで、篠原ネタ。高村光太郎の昭和19年2月12日付中央公論社内栗本和夫宛書簡に、 先日篠原さんが来られた時婦人公論がやめになるといふ事をきいて感慨なきを得ませんでした、貴下が編輯をしてゐた頃小…

元東京帝国大学附属図書館職員の女優荒木道子

相良守峯の自伝『茫々わが歳月』によると、 昭和二十八年 翌二十三日は(略)大阪舞踏会館に案内されたが、ちょうど公演にきていた文学座の荒木道子さんを佐藤(晃一)君が呼んできて酒席を共にする。この両人はむかし東大図書館で一緒に勤めたことがあり、…

長嶋亜希子の祖父西村陽吉とヤング・ブックメン・ソサエティ

長嶋茂雄夫人、故長嶋亜希子の父方の祖父西村陽吉について、『現代出版業大鑑』(現代出版業大鑑刊行会、昭和10年8月)を見ると、目新しいこととして、「近くは同志と相謀り、ヤング、ブツクメン、ソサエテイを組織して其の牛耳を握り、なほ未来に多くのもの…

海軍少将小島秀雄

相良守峯の自伝『茫々わが歳月』に、戦後の日独協会創立に関する記述がある。 昭和二十七年 翌る七月四日、戦前にあった日独協会および日独文化協会の両者とも戦争のため立消えとなったので、両者の機能を一つにしたものを作ろうという議が起こり、今日その…

松本健一先生が総理に教えたこと、教えなかったこと

松本健一先生は、『本の時間』に「原敬の大正」を連載中。5月号では、「政治思想家としての原敬(二)」として、原が明治13年9月28日付『郵便報知新聞』に書いた「政府疑に処するの道を論ず」を引用し、次のように現代語訳している。 政府の動静について、そ…

藤野七穂により解かれた『失われたムー大陸』中のキリスト日本渡来説の謎

日本におけるムー大陸説の受容史については、何度か書いてきたところである。 実はトンデモ本も書いてた仲小路彰(2006年5月4日) トンデモ・バスター島田春雄がシュメールを斬る!(2006年6月6日) 幸田露伴とムー大陸(2006年6月15日) 日本における「ムー…

東雲堂の西村陽吉と孫娘西村亜希子

黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』292頁には、西村陽吉について、『生活と芸術』発行所の東雲堂の若主人で『へちまの花』創刊の二ヵ月後に、同紙にならって小雑誌『青テーブル』を発刊している、と紹介されている。また、『日…

横田順彌『近代日本奇想小説史 明治篇』(ピラールプレス)を編集した川村伸秀の悲しみ

『本の窓』5月号の「私の編集した本」で、川村伸秀氏が横田順彌『近代日本奇想小説史 明治篇』について書いている。 柳田(泉)の研究を正統派とするなら、本書は異端の小説研究と位置づけることができる。僕の頭のなかで二つは表裏一体だった。今回、漸くも…

織田昭子(輪島昭子)と川端康成をつなぐ篠原梵

安田善一(ととやの元経営者)、安田光子(安田夫人)、織田昭子(ととやの元マダム)らによる座談会「戦後文壇の遺跡“幻のととや”」『噂』昭和48年2月号によると、 織田 林(芙美子)さんの一周忌の時に篠原凡さんが、川端(康成)さんのよく知っている安田…

第二回大東亜文学者大会前後の久米正雄

久米正雄が常務理事・事務局長を務めた日本文学報国会は、「G項該当言論報道団体」にならなかった。このため、久米は戦後公職追放とはならなかった。同会における久米の活動及び辞任に至る経緯は、近刊の小谷野敦『久米正雄伝』でも触れられるであろう。さ…

新宿「ととや」の経営者、安田善一

新宿「ととや」の経営者が判明。『第十九版大衆人事録 東京篇』(昭和31年9月)によると、 安田善一 (株)ととやホテル社長 新宿区角筈一ノ一二中村屋ビル [歴]大正3年2月5日生、東京都出身。昭和16年東大美術史学科卒。同17年より19年迄新宿駅前旅館安田本…

本郷東大前古書店の思い出

おっさんの古い日記から。 2005年11月29日 誰ぞが、本郷の古書店をのぞいてきたみたい。 そこで、思い出した本郷東大前古書店の思い出。 東大前某古書店で海外移民関係の本を立ち読みしてると、宅配便業者と店のおばさんの会話が聞こえる。 業者:業務用の割…

相良守峯が恩地孝四郎の秘書と踊った新宿「ドレースデン」

安藤利加が一時期マダムをしていたという「ドレースデン」を相良守峯の自伝から拾うと、 昭和二十八年 (五月)三日(略) のち一同連れ立って新宿の「ドレースデン」にゆき、そこで偶然出会った高村光太郎氏、恩地孝四郎氏と一緒に飲み、恩地氏の美しい秘書…

秦学文を『原敬関係文書』に発見

ボースと親しかった秦学文については、3月7日に言及したが、『原敬関係文書』第十巻所収の「大正二年十月十日現在朝鮮人調」に発見。 原籍:京城北部斉洞三一ノ二 職業:学校選定中 氏名:秦学文 年齢:二〇 「学校選定中」とあるが、『近代朝鮮文学日本語作…

日本ゲーテ賞を受賞した小堀桂一郎先生

相良守峯の自伝には、小堀桂一郎先生も出てくる。 昭和三十六年 同(四)月七日、日本ゲーテ協会の懸賞論文で、日本ゲーテ賞に当選した者は、フランクフルトのゲーテ大学に奨学留学生として一年間招待されることになったので、小堀桂一郎君が今月十二日渡独…

西部古書会館の思い出(その2)

古い日記から。 2005年7月8日 西部古書会館は、靴を脱いで、上がる方式。 ある時、年配の客が「靴がない」と、大騒ぎ。レジの店主いわく、「昔は、銭湯に来て、いい靴を履いて帰るやつがいたという話があったなあ」と独り言。オイオイ、そんなのんきな事を言…

実践女子大学教授時代の島田謹二

相良守峯の自伝には、島田謹二先生も出てくる。 昭和三十八年 同(九)月十四日、島田謹二氏が、実践女子大学の使いと称して来訪され、十一月から「ドイツ文学概説」の出講をたのまれる。土曜日の午前ときめる。同(十一)月九日(略) なお、今日の午前、実…

池島信平が無産知識階級のクラブと呼んだ新宿「ととや」

東大独文の教授相良守峯の自伝『茫々わが歳月』(郁文堂、昭和53年5月)は、「はしがき」に「本書はだいたい日記やメモ帳の抜粋である」とあり、詳細な記述のある日記を読んでいる感がある。 昭和二十九年 十二月八日夜、登張君と新宿の「ととや」に行ったら…

加藤シヅエと市河彦太郎

加藤シヅエの日記に、市河彦太郎の妻市河かよ子が出てくる。 昭和13年10月20日 今朝電話で市河(原注)のお父さんの死去を報じてきました。それから隣の叔父母と戸塚町までお悔みにゆき(後略)原注:シヅエの妹嘉代の嫁家。 「叔父母」は、シヅエ及び市河嘉…

関西に一時避難されている方たちの震災避難集会

bookcafe火星の庭の前野久美子さんが3月神戸で関西への避難者の会を開いたことは、「神戸新聞」に出ていたが、4月4日の京都新聞でも報じられた。3月28日神戸市の旧グッゲンハイム邸で開かれた会には、仙台市や福島市、鎌倉市からの避難者たち約100人、乳幼児…

霊媒としての内山若枝

霊媒としての内山若枝と思われる女性が大蔵公望の日記昭和14年3月20日の条に出てくることは、2009年10月22日を参照していただきたいが、より明確な記述を発見した。『心霊と人生』10巻12号(昭和8年12月)の「各地便り(十月)」によると、 大阪便り▽大阪心…

金子白夢牧師の新生会

金子白夢、本名金子卯吉は、『近代日本社会運動史人物大事典』にも立項されている。 金子白夢 かねこ・はくむ 1873.2.4-1950.4.20 名古屋愛知教会牧師 学歴:明治学院卒、出身:千葉県佐儀郡豊岡村、本名:金子卯吉 明治37年12月17日、山陽道伝道行商中の小…

火野葦平『花と兵隊』出版記念会

火野葦平『花と兵隊』(改造社)は、昭和14年8月刊行。出版記念会は11月に開催されたと思われる。加藤勘十の妻シヅエの日記*1によると、 昭和14年11月14日 夜六時から芝三縁亭で改造社主催の火野葦平出版記念会があったので出席した。(略) 食後、久米正雄…

芦屋市立美術博物館の行く末

指定管理者制度導入に伴い、芦屋市立美術博物館の学芸員が一斉に退職することになってしまったことについては、2月の「神戸新聞」に載ったが、その後のことが、読売新聞に出た。4月から新たに採用された2人の学芸員は他館での実務経験がある20、30歳代の女性…