神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

相良守峯が恩地孝四郎の秘書と踊った新宿「ドレースデン」

安藤利加が一時期マダムをしていたという「ドレースデン」を相良守峯の自伝から拾うと、

昭和二十八年
(五月)三日(略) のち一同連れ立って新宿の「ドレースデン」にゆき、そこで偶然出会った高村光太郎氏、恩地孝四郎氏と一緒に飲み、恩地氏の美しい秘書嬢相手に踊ったりする。

昭和二十九年
一月二日 夜の九時半にシンチンゲルさんから電話で、「ドレースデン」で待っているというので出かけたが、待ち切れずに「オペラハウス」に行っているという伝言があったので、佐藤君およびよし子と共にオペラハウスにゆく。

昭和四十五年
三月五日、電話をもらって会う約束をした井口(旧姓沢崎)秋子さんと新宿の八雲で会食をし、次にビーヤ・ホール「ドレースデン」で飲んでいるところに平凡社々長下中邦彦、巌谷大四両君がきたので、会談会飲する。ピアニストの秋子さんは「ショパン・コンクール」などの審査員をたのまれて、よく渡欧するらしい。

「佐藤君」は佐藤晃一、「よし子」は相良の夫人。