神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

海軍少将小島秀雄

良守峯の自伝『茫々わが歳月』に、戦後の日独協会創立に関する記述がある。

昭和二十七年
翌る七月四日、戦前にあった日独協会および日独文化協会の両者とも戦争のため立消えとなったので、両者の機能を一つにしたものを作ろうという議が起こり、今日その有志懇談会が朝日新聞社第一会議室でひらかれた。そして、設立準備委員長として元の駐独大使武者小路公共氏、世話役に海軍少将、現北海道興発KKの小島秀雄氏および手塚晩三氏とし、この新しい「日独協会」の設立には代理大使ノルテ氏も賛同している。

ここに、出てくる小島秀雄海軍少将は、戦前伊号第二九潜水艦でドイツに赴任した人物でもある。しかし、それよりもわしにとって重要なのは小島威彦の兄だったことである。

(参考)『日本陸海軍総合事典第2版』によると、

島秀雄(44)[兵庫]明29・4・5〜昭57・3・22
幕臣・英語教師(高知中学の創立者)小島守気の二男、弟威彦は哲学者、海軍中将左近司政三(28)の義弟 (略)昭18・5少将、18・9ドイツ大使館兼フィンランド公使館付武官、18・12出発、19・3伊29潜によりドイツ着任、19・6兼フランス大使館付武官、20・12帰朝、27・7日独協会常務理事、42・3同副会長