神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戦時下の中山忠直と小辻節三

白柳夏男編『戦争と父と子 白柳秀湖伝』所収の『東京籠城日記』によると、

昭和20年2月5日 寺島と談半ばにしてヘブライ博士(小辻)と称するもの、沼津なる中山忠直の原稿を持参、混雑の事情を話し玄関にて帰す。
元気横溢せる千倉氏が漸く悲観の色あるも爆弾の見舞をうけたる為、中山が半身不随にて尚ほ原稿をかく元気あるも閑地に横臥する為か。

    2月15日 この日、××××の「天皇道戦術」を読む。白人が旧約に泥(なづ)みてイスラエル十二族の中、十族の行方を想像し、東方にアビシニアと称うる立派なキリスト教国ありとして、思出したようにその空想を描くを鵜呑みにし、その東方キリスト教国に日本を擬したる説にして、余としてはてんから賛成出来ざれど、白人社会のユデア人いぢめをそっくりそのまま直訳して、その尻馬に乗らんとする一派にくらぶれば、尚ほ勝る万々と謂つべきか。
××に宛て、自分としてはかかる大切の原稿をこの物騒なる世の中に、××の指定する辻善之助、山田孝雄など自分の見も知らぬ人に郵送し難き旨を認め、明十六日午前中、新橋局より書留小包にて発想すべしと懇ろに説諭したる手紙を認め、午後七時頃附近のポストに投函す。
    2月17日 ××××の原稿に付小辻節三にも通知。

小辻は、中山の原稿を白柳を通して、辻や山田に見てもらおうとしていたようだ。しかし、そんなものを送られたら、山田も迷惑だろうなあ。戦時下に小辻と中山は何を考えていたのだろうか。戦時下、藤澤親雄は北京で興亜世界観研究所を主宰し*1三浦関造は上海で皇道宣布をし*2、増田正雄は内地で国際政経学会を主宰しており、トンデモ系の人々は皆妄想を拡散させていたわけではあるが。
なお、中山がこの年天羽英二にも接触しようとしていたことについては、2007年5月21日参照。

(参考)『ユダヤ民族の姿』(目黒書店、昭和18年2月)での「小辻節三略歴」によると、

小辻節三 明治学院神学部卒、北米加州太平洋宗教大学院卒、青山学院講師、満鉄総裁室及調査部附を経て現在希伯来文化研究所長、神学博士、著書「ビ(ママ)ブル語原典入門」「セム文字の起源及変遷」(英文)其他

                                              • -

書物蔵「屠れ米英われらの敵だ! 分捕れLCわがものだ!`・ω・´)o ……。 ん?(・ω・。)」所収の『文献継承』(18)が刊行された。東京堂書店神田神保町店の3階に置いてあるそうだ。実は、増田七郎については、オタどんが先に発見していたと思いこんでいた*3が、誰ぞの方が先だった→「書物蔵

                                          • -

華族史料研究会編『華族令嬢たちの大正・昭和』(吉川弘文館)の参考文献として、黒岩比佐子『明治のお嬢さま』(角川選書)あり。

華族令嬢たちの大正・昭和

華族令嬢たちの大正・昭和

*1:2007年3月3日参照。

*2:2008年7月29日参照。

*3:東京帝国大学附属図書館司書増田七郎」(2007年7月8日)、「東大附属図書館司書増田七郎増田義一の養子だった」(2010年2月17日)参照。