神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

瀬戸内寂聴の夫だった酒井悌国会図書館副館長

高見順の日記に、

昭和38年4月3日 上野図書館長が瀬戸内晴美さんのもとの亭主だったと言う。彼女から妻が聞いたと言う。この人は私の印象では、実にいい人だった。

とある。この頃の国会図書館支部上野図書館長は、酒井悌である。酒井の経歴を『図書館関係専門家事典』や『簡約日本図書館先賢事典』などで見ると、

酒井悌 さかいやすし 
大正2年9月1日徳島市
昭和14年 大東文化学院研究科修了、外務省留学生
  15年 国立師範大学
  19年 輔任大学専任
  20年 国立北京大学助教
  22年5月 参議院事務局調査部
  23年 国会図書館
  25年2月 考査奉仕課長
  29年6月 運営課長
  33年8月 庶務課長
  34年6月 会計課長
  37年4月 支部上野図書館
  41年4月 連絡部長
  47年4月 参考書誌部長
  48年6月 総務部長
  52年12月 副館長
  55年3月 退職
平成4年2月28日 没。死亡時、全国学図書館協議会会長、金沢工業大学理事。喪主は妻緑。

一方、瀬戸内の年譜によると、寂聴は、

昭和17年8月 見合いをして婚約
  18年2月 徳島で結婚。夫は北京に単身赴任
  18年10月 北京に渡る
  19年6月 輔仁大学学長細井二郎宅に仮寓の後、輔仁大学の教員宿舎に転居
  20年6月 夫が現地召集
    8月 終戦。夫帰宅 
  21年8月 親子三人で、徳島に引揚げ
  22年秋 一家三人で上京
  25年2月 正式に協議離婚

このほか、寂聴の「場所」には、夫は外務省留学生として北京に渡ったとか、寂聴(大正11生)より9歳年長とある。これらにより、寂聴の夫は酒井だったと確認できた。
このことは、寂聴の年譜、奥田富子『瀬戸内寂聴伝』(日本文学館、2010年8月)やネット上には出てないと思っていたが、よくよくググったら自称「悪の図書館ブログ」の管理人の誰ぞが言及していた。→「書物蔵」。どうやって、知ったのだらう?
寂聴の年譜などに記載のないのは、プライバシーの問題というより、国会図書館副館長といっても、館界以外の人にはただの人だからということかしら。
なお、酒井については、わしも言及していたことを発見→2007年12月20日参照