神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

第二回大東亜文学者大会前後の久米正雄

久米正雄が常務理事・事務局長を務めた日本文学報国会は、「G項該当言論報道団体」にならなかった。このため、久米は戦後公職追放とはならなかった。同会における久米の活動及び辞任に至る経緯は、近刊の小谷野敦久米正雄伝』でも触れられるであろう。さて、情報局総裁だった天羽英二の日記に同会が主催した第二回大東亜文学者大会前後の久米の動向が出てくるので、記録しておこう。

昭和18年8月10日 来訪久米正雄 甲賀三郎(不会 大東亜文学者大会)

    8月23日 午後2時半大東亜文学者大会、支、満、蒙古代表挨拶来訪 久米正雄ヨリ紹介、夫々挨拶

    8月25日 朝9時第2回大東亜文学者大会、下村海南座長、小生祝辞約20分演説、時々拍手、調子善シ、録音ニ取ル(略)夜6時半、文学者大会連招待 中華民国満蒙代表 高島米峰 斉藤瀏 久米正雄 吉川英治 中村武羅夫etc 小生挨拶、中華民国代表謝希平答辞、大東亜会館