神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

文藝

内田貢を知らないか

斎藤忠編著『書簡等からみた史学・考古学の先覚』(雄山閣出版、1998年1月)で、斎藤は、坪井正五郎の「牛込区東五軒町五十四 内田貢」宛書簡(年不明2月23日付け)について、「内田貢という人物については明らかでないが、当時出版事業に関係しており、坪井…

中山太郎の出てくる小説

島本久恵『花と松柏』に中山太郎が出てきた。 そしてなお納得の行くように、日露戦後の不況からの成行きで、河井*1、窪田(空穂)、中山(丙子)その他を手始めに羽仁編集長も罷免、間もなく新聞も消えて行ったあらましを言い、 「ところで僕は詩、窪田は歌…

四方田犬彦の百冊目の著作書物

四方田犬彦の百冊目の著作書物は、実際には『四方田犬彦の引越し人生』とのことだが、当初の予定とは異なるようだ。 『WB』の連載「星とともに走る」第4回「四方田の7戒」によると、 ところが今年になって、わたしもまた100冊目の本を出すことになってし…

 独歩の墓の建立時期

大正元年9月1日付け小杉未醒の田山花袋宛書簡によると、 拝啓 故国木田独歩の墓碑未建設の事に及ばざるは同人等の遺憾に存ずる処に候 此度小生等思ひ立ち右墓碑九月末日までを期して建設仕度企申候(略)其結果大兄に金拾円の御寄付を乞ひ申候(略) 大正元…

 宮崎湖処子最愛の弟子だった玄洋社々員横山雄偉

玄洋社の社員で、ドン・ブラウンや高見順とも親しかった横山雄偉という人物については、昨年7月6日や7月7日に言及したところである。その横山の前半生が多分判明した。 宮崎湖処子の明治42年(推定)11月3日付け田山花袋宛書簡によると、 (略)本日殊に得貴…

巌谷小波を追いかけてきた男たち

小谷野敦『猫を償うに猫をもってせよ』(白水社)所収の「アンデルセンの同性愛」で、巌谷小波の四男大四が父の生涯を描いた『波の跫音−巌谷小波伝』に出てくる同性交際研究会について言及されている。この会のことが、三村竹清の日記に出てきて、面白いこと…

戦時下の極楽とんぼ(その11)

戦時下に里見とんがあやす〜ぃことをしていた。 高見順の日記によると、 昭和20年5月16日 今日は終日店番を勤めた。里見紝、長田秀雄氏等が来た。里見さんはもう六十近いはずだのに艶々した顔色をしていて、小柄な身体に精力が漲っている感じだ。弁当を持っ…

戦時下の極楽とんぼ(その10)

戦時下、里見とんがまた宴会に出ていた。 広津和郎の「戦時日記」によると、 昭和19年8月29日 本日は横浜の南京町にめずらしく豊富な洋食を食べさせる家があるというのでそこに行く日である。間宮君の学生時分の友人で上野健という若い実業家が案内して呉れ…

戦時下の極楽とんぼ(その9)

岩波文庫の夏の一括重版(7月10日発売)の一冊に里見とん『極楽とんぼ他一篇』がラインナップ。 そこで「戦時下の極楽とんぼ」シリーズの続きを。津村信夫の日記には、里見も出てくる。 昭和17年8月6日 ペンクラブの夏期大学を一寸覗いてみる。(略)里見…

坪内祐三の大叔父井上泰二まごまごする

三村竹清の日記には、新宿の骨董屋の柳田栄太郎と民俗学者の柳田國男の両方が出てくるので紛らわしい。 今回は國男の方の話。 大正7年11月19日 朝 貴族院官舎柳田へ行く 福*1来春一中卒業故 一高之何れを志願すへきかを定むる為也 柳田君 法学士故尋たるに …

戦時下の極楽とんぼ(その8)

戦時下の里見紝は、宴会に出席してばかりいたわけではなく、島崎藤村の葬儀にも出席していた。 秋田雨雀の日記によると、 昭和18年8月26日 時々雨。雑司谷地域雷鳴。午前九時ごろ青山斎場へ行く。斎場では仏式で式が行われていた。葬儀委員長有島生馬、静子…

島源四郎物語

島源四郎の名前は幾つかの日記で見ることができる。 大正14年1月9日 春陽堂島源四郎来、鳶魚随筆三百頁以上のもの来る二十日に原稿渡すべきよし談合(略)(三田村鳶魚) 15年2月23日 晡時春陽堂店員島氏来りしかば、荷風文藁と名づけたる旧藁の出版を托す。…

「ざまぁー見ろ、と辰野隆」考

太平洋戦争開戦後、辰野隆が「あの十二月八日の朝、感じたことを一言で言いますと、ざまぁ見ろです」と述べていると、林茂『太平洋戦争』(中央公論社)に書かれている。この出典が不明なことは、小谷野氏が書いていて、わしにもわからないのだが、辰野の発…

戦時下の極楽とんぼ(その7)

戦時下の里見紝(さとみとん)の動向について、詳細年譜が書けそうなほどデータが集まってきた。 木下杢太郎の日記によると、 昭和17年12月13日 小川書店十周年の祝賀会にまねかれ、六時日本橋音喜久に之く。安倍、小宮、岩波、宇野、里見、久保田、□[空白]…

武者小路実篤と催眠術実験

今回は本物の催眠術の話。武者小路実篤の自伝小説『或る男』*1によると、 同じ年の十月三日に彼は志賀や木下にさそはれて本郷の中央会堂に催眠術を見に行つた。それは大学の心理学の実験の為めに行はれたので、七時頃から始つた。 (略)彼は術者が三四人の…

戦時下の極楽とんぼ(その6)

里見紝や二楽荘は、『大佛次郎敗戦日記』(文庫版では『終戦日記』)に頻出する。その一日を引用すると、 昭和19年12月12日 夜二楽荘に当地在住の小説家のみ「無事な顔」を会せると云う会、里見久米小島川端島木中山義彦夫妻林永井集る。例の如き乱暴な酒と…

宮澤賢治と霊智学

宮澤賢治といわゆる「霊智教メモ」についての先行研究としては、香取直一氏によるものがある。 未見だが「宮沢賢治、その魅力 19」(『東洋の人と文化』45号、平成元年5月)に詳しいらしい。 大正15年1月に開設された岩手国民高等学校における賢治の「農民芸…

 戦時下の極楽とんぼ(その5)

里見紝が漢口会に出席していたことから、漢口に従軍していたと思ってしまった*1が、小谷野氏の教示のとおり、派遣されていなかった。昭和13年8月27日付け東京朝日新聞夕刊によると、「文士聯隊」のメンバー22名は、 菊池寛、久米正雄、吉川英治、白井喬二、…

 戦時下の極楽とんぼ(その4)

漢口会の田中軍吉らしき人物が高見順の日記に出てくる。 昭和18年5月2日 五時半より鎌倉、二楽荘の会。中山義秀夫妻、小生の移転歓迎、川上喜久子さんの帰還祝い、鎌倉ペン・クラブ主催。 行くと、小林秀雄と島田晋作がいる、島田氏はすでに酔っている。 里…

 日露戦争従軍記者としての中山太郎

中山太郎「憶出の人々」(『書物展望』第10巻第12号、昭和15年12月1日)によると、 私が、大阪の新聞へ行くことがきまると、東日の松内冷洋氏から、岩野泡鳴君が樺太の蟹の罐詰で失敗し困つてゐるので入社させてくれないかとの話で、私は泡鳴氏に会ひ月給や…

 紅野敏郎先生の図書館員知らず

『漱石全集』の書簡篇の「人名に関する注および索引」(注:紅野敏郎)を見る。 第23巻(1996年9月)には、「今沢慈海」の注として、「不詳.明治44年当時、日比谷図書館に勤めていたと思われる」とある。明治44年10月7日付け「麹町区日比谷図書館 今沢慈海」…

 南天堂!

紀伊國屋書店の『scripta』第7号(2008年4月)で連載中の内堀弘「予感の本棚」第11回に、大正時代中頃に白山(文京区)で開店した南天堂が出てくる。 そんな時代の中で、南天堂はダダイスト、アナキスト、マヴォイストたちのサロンになっていた。 時代の過渡…

太霊道で卒論を書いた学生

勝本清一郎というと、『座談会明治文学史』、『座談会大正文学史』だが、後者に太霊道が出てきた。 柳田(泉) それよりも新興宗教の方をいうと、一時勢力のあったのは大[ママ。以下同じ。]霊道の田中守平、これは一代を風靡したもので、学生も信仰したもの…

山田順子のバー「彼女」

森まゆみの新作『断髪のモダンガール 42人の大正快女伝』(文藝春秋)に、山田順子の章があって、勝本清一郎と別れた後に経営したバーの一つに「彼女」が挙がっていた。斎藤茂吉の日記で「彼女」を見つけたので紹介。 昭和6年1月22日 平福、岩波、僕ト潚々…

漢口会の田中軍吉

里見紝らがメンバーだった漢口会を主唱した田中軍吉は、ある事によって有名な人だった。 『日本陸海軍総合事典 第2版』によると、 田中軍吉 明治38・3・19〜昭和23・1・28 大正14年7月 陸士卒 10月 少尉・近歩3連隊付 昭和3年10月 中尉 6年 3月 東京外語(…

戦時下の極楽とんぼ(その3)

戦争中の食生活というと、一升瓶で米をつくシーンを思い浮かべてしまうが、勿論そういう貧しい人ばかりではなかった。古川ロッパの日記によると、 昭和18年4月15日 ハネると久保田万太郎・里見紝両先生・徳川夢声四人で車、明治座裏の堀川へ。オールド・パア…

 戦時下の極楽とんぼ(その2)

里見紝の兄有島生馬の妻信子は、西園寺公の秘書原田熊雄の妹に当たる。 この里見、生馬、原田の名前が戦時中の西田幾多郎の日記に見える。 昭和19年6月25日 原田[熊雄]来訪 大拙と柳田来訪 里見紝−原田と共に来訪 12月5日 名古屋の川出来訪 里見、有島[生馬]…

 戦時下の極楽とんぼ(その1)

里見紝(さとみとん)については、全集の年譜を見ても、戦時中の動向はあまり記されていない。オタどんが見つけた事実を記録しておこう。まずは、里見と学習院初等科で同級生だった東久邇宮稔彦王の日記(『東久邇日記』)から。 昭和16年8月21日 原田熊雄に…

幻の幸田露伴日本文学報国会長

戦前、徳富蘇峰が日本文学報国会長に就任しているが、当初は幸田露伴が候補であった。 斎藤茂吉の日記によると、 昭和17年5月22日 ○情報局ノ上田中佐(五部三課長)ヨリ電報アリ、ヨツテ甲田先生ヲ訪ネ、文学報国会々長ノ件ヲ依頼ス。先生、コトワラレル、 5…

アナキスト荒川義英と秋田雨雀

秋田雨雀の日記になぜか若くして亡くなったアナキスト荒川義英の名前が出ている。 大正9年5月23日 夜、築地三丁目の花本で松竹活動会社の相談会があった。実子という芸妓がいた。教育のある、おもしろい女であった。帰りにライオンによると、里見、久米、中…