神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

文藝

黒岩比佐子『古書の森逍遥』に衝撃を受ける!

工作舎のホームページを見てたら、「これから出る本」の中に2月刊行予定として、黒岩比佐子さんの『古書の森逍遥』あり。御本人の紹介より先に言及して、またまた怒られたり(?)して(汗)。「明治・大正の美麗な古書との出会いを綴ったエッセイ集」との…

里見とんとカフェー

ライオンにいる里見とんについては、4月4日に言及したので、別のカフェーと里見を披露しよう。荷風の『断腸亭日乗』によると、 大正10年9月14日 (略)独食事をなし有楽座久米氏を訪ふ。松山画伯里見醇[ママ]とプランタン酒亭に至る。 「久米」は久米正雄で…

里見とんと村井弦斎

里見とんも村井弦斎を読んでいたようだ。里見の自伝的小説「二十五歳まで」に弦斎の『飛乗太郎』(春陽堂、明治30年7月)が出てくる。 私と同年の信三といふのが土地の小学校に出て居た。私はこの小年が学校からヒケて来るまで、家で独りでぐづぐづして居た…

芹沢光治良と小田秀人

勝呂奏『評伝芹沢光治良』(翰林書房)に、小田秀人が出てきた。 昭和五年十一月三日に発会した心霊研究をする菊花会に芹沢が名前を連ねていたことが、小田秀人の『四次元の不思議−心霊の発見−』(昭和46・2刊)に見える。小田は第一高等学校の先輩で兄の真…

里見とんが愛した藝者「小錦」(こきん)・「お君」

大正9年前後の里見とんの動向を『中央文学』の「最近文壇消息」で探ってみると、3年9号(大正8年9月1日)には、 目下『時事』に小説『今年竹』を連載して居るが、其の中に小錦と云ふ名前の藝者が出て居る、之は里見君が馴染みの赤坂の好い人そつくりだとのこ…

志賀直哉と里見とんが和解するきっかけとなった第一作家同盟展

星製薬において開催された展覧会を幾つか紹介してきたが、『大正期新興美術資料集成』によると、大正11年10月1日から同月10日まで開催された第一作家同盟展も星製薬で開催された。この展覧会だが、絶交していた志賀直哉と里見とんが和解するきっかけの場とも…

戦時下の里見とん再び

『日本文学報国会・大日本言論報国会設立関係書類 上巻』には、情報局第五部第三課起案の「社団法人日本文学報国会設立経過並ニ仰裁ニ関スル件」が収録されている。13頁を見ると、昭和17年5月下旬開催予定の日本文学報国会設立総会の式次第が記されている。 …

讃・『編集者 国木田独歩の時代』

角川財団学芸賞を受賞した黒岩比佐子『編集者 国木田独歩の時代』(角川選書)への姜尚中氏の選評が、『週刊読書人』12月12日号に載っている。御本人からは書きづらいかと思うので、わすが引用しちゃう。 黒岩さんの作品も本当に素晴しい作品で、大学の外で…

高円寺の古本屋にして芥川賞受賞者の寒川光太郎

埴谷雄高「戦争の時代」*1によると、 寒川光太郎はその頃芥川賞をもらつたばかりであつたが、私達は彼を文学者として知つているというより、よく本を売りに行つた高円寺の古本屋の親父として知つていたのである。 古本屋の親父にして、芥川賞受賞者! ほんま…

永井荷風にも接触していた伊藤武雄

伊藤武雄は、永井荷風にも色々教えてあげていたらしい。『断腸亭日乗』によると、 昭和9年8月26日 晡時伊藤武雄といふ人来り余が旧著下谷叢話百廿六頁中の記事につきて教へらるゝ所あり(瓦雞鳥居氏明治廿三年二月九日歿。法名大保院雄道瓦雞居士。墓在谷中…

幸田露伴を取り巻くムー大陸信奉者

「古本邪鬼」こと横山茂雄氏が大塚英志氏と対談を行っていた*1。 横山 (略)僕がやってきたことを人に説明するのはなかなか難しいかもしれない。本業は英文学なんですけれど、オカルティズムについては十代後半、現場に足をつっこんでいまして。十九世紀に…

アトランティス大陸と四方田犬彦

『図書』の岩波新書創刊70年記念号で、四方田犬彦氏が『失われた大陸アトランティスの謎』(E・B・アンドレーエヴァ/清水邦生訳)について書いている。 ソ連の科学啓蒙読みもの。プラトンの『共和国』におけるアトランティス大陸の描写にはじまり、ムー大…

森達也もSFを読み小説を書いてた

『出版ダイジェスト』10月21日号の森達也「最も充実した読書の時期」を見る。 森氏は、高校進学後、ラブクラフトやサキ、ブラックウッドや夢野久作などの怪奇小説ばかりを読み耽ったり、アシモフ、クラーク、J・ティプトリー・ジュニアやラリー・ニーブン、…

有島武郎の住所録に三浦関造の名前

有島武郎の「住所録手帖」に藤澤親雄や市河彦太郎の名前があることは、昨年5月2日に紹介した。改めて見てみると、秋田雨雀、井箆節三*1、松岡虎男[ママ]麿*2、中戸川吉次[ママ]*3、沖野岩三郎、岡田道一*4、田山花袋、生方敏郎*5、竹久夢二、望月百合*6とい…

読書会で奥さんを捕まえた若島正

若島正「青春の短篇小説あるいは短篇小説の青春」*1によると、 大学院生だったころ、学部生と一緒に、「英米の短篇を読む」という読書会をやっていた。(略) この読書会には、当時京大SF研の大森望も参加していた。そのときにいた学部生の女の子たちのう…

鴨川の風が作家を生む

『読書のいずみ』秋号の「座・対談」で万城目学氏は、小説を書くきっかけについて語っている。 小説家を意識したのは大学3回生の秋くらいです。大学から自転車で帰るのですが、ちょうどその時に鴨川方面から風がフッと吹いてきまして、それが非常に気持ち良…

里見とんの原稿料

『モダニズム出版社の光芒 プラトン社の1920年代』からの孫引きだが、西口紫溟『五月廿五日の紋白蝶』(博多余情社、昭和42年)に、プラトン社における作家の原稿料(一枚当たり)が載っているらしい。 15円 幸田露伴 10円 田山花袋、佐藤春夫、里見とん、菊…

乱歩の土曜会でポーを語る島田謹二

島田謹二先生が山田風太郎の『戦中派闇市日記』に登場。 昭和22年3月8日 第一相互ビル旧館七階東洋軒の土曜会に出席。(略) 江戸川、大下、木々、渡辺、城氏らを始め会員四十人余り。一高教授英文学者島田謹二氏(終戦前まで台湾帝大教授、比較文学専行のポ…

三浦関造の昭和5年における展望

三浦関造の昭和5年における動向が、『昭和五年版評論随筆年鑑』(評論随筆家協会、昭和5年4月)所収の「昭和四年度の収穫と将来の展望」で判明。 (一)本年度の主要な御著作 神性の体験と認識日本より全人類へ (二)本年度の新聞雑誌へ寄せられし主要な玉…

 『女子文壇』と岡田美知代

小谷野氏作の岡田美知代著作リストになかったので、一応補足しておこう。 明治38年1月創刊の投稿雑誌『女子文壇』に、岡田と永代静雄が投稿・寄稿している。 岡田美知代「侮辱」(4年6号、明治41年4月15日) 永代美知代「火事」(5年7号、明治42年5月15日) …

大槻憲二と恩地孝四郎

『文学者の手紙3』所収の恩地孝四郎の大正10年(推定)6月15日(消印)の浜本浩宛書簡によると、 七月創刊、「内在」*1よろしくたのむぜ。金がないので心細いんだからいいパトロンにでも紹介してくれ。作曲家の石川義一君が、同人になつてゐるんで幸だ。外…

 安成貞雄山脈

『安成貞雄 その人と仕事』に収録された『実業之世界』大正13年9月号掲載の「安成貞雄氏の為め会葬及び供物を給はりし芳名」から、何人かを抜き出してみよう。 關如来 石原俊明 高島米峰 近藤憲二 久米正雄 村松正俊 生方敏郎 清水彌太郎 堺利彦 葛西善蔵 松…

キリスト教の日本的変容 海老名弾正・中田重治・宮崎湖処子・徳冨蘆花・巌本善治

勝本清一郎の『座談会明治文学史』での発言。 (略)明治大正時代にキリスト教思想を、日本の神道思想に妥協させる考え方の流れが一つあるわけですね。海老名弾正が、天御中主之神とエホバを同一視したり、ホーリネス教会の中田重治の日本人ユダヤ民族説だの…

いつまでも慕われる国木田独歩

東京大学出版会のPR誌『UP』8月号で、T氏が「『死生学』一斑」を書いている。同会刊行の『死生学とは何か』所収の竹内整一「死の臨床と死生観」に、かつて植村正久に洗礼を受け、後に棄教した独歩が、死の直前植村に救いを求めた話が書かれていることを…

 中外商業新報の黒田湖山

黒田湖山(本名・直道)が、岡本綺堂の日記に出てきた。 大正13年1月15日 中外商業新報の黒田湖山君から郵書が来て、四月ごろから連載小説をたのむといふ。新聞小説は難儀だから、例に依つて断りの返書を送る。 黒田の名前を日記で見るのは初めての気がする…

台湾愛書会のメンバー 

小林信行「若き日の島田謹二先生 書誌の側面から(3)」『比較文学研究』77号に、台湾愛書会が出てきた。 (昭和八年)四月十二日、三年前から台北帝大で同好者が集まって続けていた「書物の会」のメンバーで、台湾日日新報社社長河村徹、台湾総督府図書館…

 三浦関造と更新文学社

三浦関造が大正期に更新文学社という出版社を経営していことはあまり知られていないと思われる。 秋田雨雀に日記にこの出版社のことが出てくるので紹介しておこう。 大正5年9月2日 きょう、朝、もと弘前の牧師をしていた三浦開[ママ。以下同じ]造君が東[ママ…

 投書雑誌『文庫』の投書家群像

明治28年8月に創刊された投書雑誌『文庫』に、中山太郎が投書していたことは、7月7日に言及したところである。 同誌には、他にも後に著名人となる人達が投稿していた。 40巻3号(明治42年3月1日)の桜沢如一「雪鳥」は、あの桜沢の処女作ではなかろうか。 ま…

 創刊号コレクター台北帝国大学附属図書館司書裏川大無

中村忠行「書かでもの記」(『山邊道』20号、昭和51年3月)によると、 この様な雰囲気に、吾々も多分に影響された。そして、文化祭の折に、文藝部主催で、明治・大正・昭和の文藝雑誌展を開いた。出品の大部分は、大学の附属図書館に司書をされてゐた裏川大…

尾崎紅葉に化けた山崎増造

岩波文庫の『明治文学回想集』の索引を見てたら、奇人、山田一郎の名前を発見。早速上巻の市島春城「明治文学初期の追憶」(『早稲田文学』大正14年7月)を見る。 この亭のお福という娘が大の紅葉崇拝で、山人の小説といえば、ナンデモ精読している。私の亡…