神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 宮崎湖処子最愛の弟子だった玄洋社々員横山雄偉


玄洋社の社員で、ドン・ブラウンや高見順とも親しかった横山雄偉という人物については、昨年7月6日7月7日に言及したところである。その横山の前半生が多分判明した。


宮崎湖処子の明治42年(推定)11月3日付け田山花袋宛書簡によると、

(略)本日殊に得貴意度候儀は
無名の作家横山雄偉なる
青年当今の大家中独り
大兄之御教導を仰き度よう
申出候次第に候同人
は少小[ママ]英語の素養有之
泰西作家の大作も名のみ愛読
△帝国建設者(セシルローツ訳)を民友社より出版、
蘇峰氏の認識を受け
し二十一歳にして△国民新聞
従軍記者として樺太に赴き
爾来北海道に在つて開拓事
業に従ひ一朝にして大耕主
となり、累巨万の巨豪となり一時北海
王となり耽溺を極め歓楽を
極め忽ち又破産、落魄、煩悶の奴となりピストルを以て万時
を解決せんとするもの数次窮地
より生還し来り候もの、然れは
作家としての天才は未た何
とも申し難く候へとも内察の
鋭利なることは其の作「解
決と自殺」の中にも稍認め得べき心地致し候(略)
(略)
(略)嘗て僕
の最愛の弟子に候ひしもの
今も猶ほ然る者に御座候へ者
(略)


21歳で「従軍記者」というのが、日露戦争の従軍記者とすると、玄洋社の横山は明治15年生まれというので、年齢はおおむね合致する。小林一郎は、『花袋周辺作家の書簡集2』の解説で「横山雄偉という作家がその後文壇に名を出したことは聞かない」としている。しかし、横山は、作家として成功はしなかったが、玄洋社々員としては成功したようだ。

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