神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

里見とんが愛した藝者「小錦」(こきん)・「お君」


大正9年前後の里見とんの動向を『中央文学』の「最近文壇消息」で探ってみると、3年9号(大正8年9月1日)には、

目下『時事』に小説『今年竹』を連載して居るが、其の中に小錦と云ふ名前の藝者が出て居る、之は里見君が馴染みの赤坂の好い人そつくりだとのことである、里見君は此赤坂の好い人に毎月百五十圓のお手宛を賜はるさうであるが、『時事』の原稿料が毎月百五十圓、して見ると先づ夫婦供稼ぎと云ふ格であるげな、


とある。この藝者だが、小谷野敦氏の近著の里見伝に、大正7、8年のこととしてある「このころ、『安城家の兄弟』で「お君」という名で呼ばれている藝妓と昵懇になったと考えられる」とある「お君」と同一人物だろうか。


この他、4年8号(大正9年8月1日)には、「家族同伴湯ヶ原へ転地」とある。


追記:里見伝に「『今年竹』や『多情仏心』の藝者は、この女と、その姉のやはり藝者だった女をモデルに描いたもの(後略)」とあるのを忘れてた。

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絵葉書は集めていないが、井上円了哲学堂の絵葉書セットを注文したことはある。はずれたけど。確か水戸の郷土資料専門の古書店。←とらや書店?