神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

志賀直哉と里見とんが和解するきっかけとなった第一作家同盟展


星製薬において開催された展覧会を幾つか紹介してきたが、『大正期新興美術資料集成』によると、大正11年10月1日から同月10日まで開催された第一作家同盟展も星製薬で開催された。この展覧会だが、絶交していた志賀直哉と里見とんが和解するきっかけの場ともなったようだ。小谷野敦『里見とん伝』によると、

(大正十一年)十月六日、SF作家・星新一の父星一が社長をしていた星製薬の楼上で催された蒼空画会で山内金三郎が志賀に会い、とんが和解したがっていると伝えた。


いやあ、まいりましたね。里見が「春の水ぬるむが如くに」(『随筆』大正13年4月号)で書いているこの蒼空画会(正しくは蒼空邦画会。展覧会名としては、むしろ第一作家同盟展が正しい)については、9月18日大正12年1月16日ではないかと推測したが、間違っていたのだ。確かに、志賀の日記の大正11年10月6日の条に、

大正11年10月6日 第一作家同盟(*1)の絵を見る、吾八一番よし(略)吾八、伊吾の事(*2)をいふ、会ふ事自分にも気持ある事をいふ 吾八喜ぶ


原注 *1 第一作家同盟 大正十一年七月に、高原会、行樹社、青樹社、赤人社、蒼空邦画会などのメンバーが加盟して結成された青年画家の団体。
   *2 伊吾の事 志賀直哉は、大正五年七月以来、里見とん(伊吾)と絶交していたが、里見とんの気持ちが変わったことを、この時、山内金三郎が志賀に伝え、二人は和解に至った。


とある。なお、神斧は山内金三郎の雅号、吾八は通称である。

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林哲夫氏の『古本デッサン帳』によると、甲鳥書林のPR誌『甲鳥』2号(昭和14年12月10日)の寄稿者に里見の名前があるが、何を書いているのだろう。