神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

催眠術

コックリさん、コックリさん(その3)

寺田寅彦の日記*1にもコックリさんが顔を出していた。 明治25年5月26日 帰リニ余ガ姉ノ狐狗狸三ヲナスニ逢ヒ之レヲ為シテ帰(ママ)ニ入湯シテ寝ヌ 5月27日 此夜モ亦狐狗狸三ヲ為ス 余ノ母及徳モ来リ見ル 余及別役君ト大ニ之レヲ論ジ其妄ヲ破ル 余ガ姉怫然色…

コックリさん、コックリさん(その2)

桑原三郎監修『巌谷小波日記 翻刻と研究』によると、巌谷がコックリさんをしたのは、明治20年1月26日・27日・29日、4月9日・10日。 これと同時期に、コックリさんをしていたのが、芳賀矢一。 『芳賀矢一文集』*1所収の芳賀の日記によると、 明治20年4月10日 …

コックリさん、コックリさん(その1)

ちくま学芸文庫に収録された柴田宵曲の『明治風物誌』。 「コツクリさん」という項目があり、 1 坪内逍遥が『柿の蔕』に、明治19年頃、『今日新聞』の小西義敬に招待された席に、三脚と円盤*1が持ち出され、同紙の記者だった斎藤緑雨らとともにコックリさん…

三村竹清が太霊道ブームに喝!

三村竹清の日記*1によると、 大正7年12月6日 六日午前六時 麹町一番町太霊道本部田中守平方焼く 天下見通しの様なることを新聞一頁広告をする男也 山師之正体世間悟れりや否 同年12月7日の東京朝日新聞によれば ●太霊道焼く 昨日午前六時二十五分麹町区一番…

岡田式静坐に、催眠術見学、忙し、忙し。

坪内逍遥の日記*1から。 明治45年2月21日 酔夢へ催眠術 楠山へ喜劇の件 29日 岡田式 池辺三山死去 弔問 西村を介して琴平町博士書院に古屋鉄石の催眠施術を見る 明治45年2月29日、逍遥は岡田式静坐をし、前日に亡くなった池辺三山の弔問に行き、西村酔夢こと…

依田学海と催眠術(その2)

再び『学海日録』を引用すると、 明治29年10月14日 晴。杉浦梅翁を訪ふて、午餐の供にあふてかへる。(略)この日梅潭の娘に、その先夫蔭山某が催眠術を行ひしを問ひけるに、いかにもこれを研究して行ひしとなり。(略)よてこの術をよくせる医士鈴木満二[マ…

依田学海と催眠術(その1)

『学海日録』の索引で催眠術を引く*1と、第10巻に次のような記述があることがわかった。 明治29年10月11日 ○荊婦と英人フラツクの催眠術を新声館にみる。(略)一人の童子を呼出し、フラツクこれに向て直立し、しばらく息を凝らすとみるほどに、童子忽ちうし…

平井金三の厄年

『漱石研究年表』。これを労作と言わずして何を労作と言うべきか。 しかし、同書にしても不詳とされる人物がいる。 大正5年1月6日の条によると、 野上豊一郎・内田百輭・松浦嘉一連れ立って来る。野上豊一郎、胡桃だけで十二年生きている男の話をする。平井…

明治37年の睡眠術狂言

明治36年前後には、催眠術ブームがあったという(昨年の7月10日参照)。これもその一つか。 明治37年5月4日 薄晴。六十一度。常盤座水野一座すいみん術狂言。おみね 織雄三人ニテ見物。 引用は、『梅若実日記』第7巻(八木書店、2003年12月)による。梅若は…

『『食道楽』の人 村井弦斎』余話(その2)

医者もどきだったら、載ってはいないだろうと思いながらも、『静岡県の医史と医家伝』(土屋重朗)を見ると、何と医者であった(同書393頁、496−497頁)。 山崎増造は安政六年(1859)周知郡犬居村の生まれ、明治七年同地区の小学校の訓導補、…

『『食道楽』の人 村井弦斎』余話

図書館ネタばかり続けると、天の声が「こりゃ!」と言っている気がするので、「文學界」で「歴史のかげに“食”あり」 (第1回は「ペリーの口には合わなかった日本料理」)という連載のスタートをした黒岩比佐子さんへのオマージュ(盗作という意味じゃないよ…