神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

千里眼の時代


恒藤恭(大正5年11月までは井川恭)の日記(『向陵記』)に面白い記述がある。

明治43年12月30日 千里眼千里眼。このごろの新聞ハ、千里眼と飛行機で持ち切って居る。誰にも出来相だが、さて僕にハ出来そうに無ひ。片桐の奥さんハ、あんな風な事が得意だから、おとゝひ行った時、「どうです、あなたもやって御覧なさいませんか」と言うたら、「妾ね、実際やり出すと気が変になりますからね」と真面目な答へであった。


原注によると、明治43年4月上京後の都新聞見習い記者時代、福来友吉の講演を「千里眼に就て(上)(下)」と題する記事にまとめており、大阪市立大学恒藤記念室で所蔵しているという。恒藤も明治末期の千里眼ブームの時代に生きた一人だった。日記には出てこないが、おそらく平井金三と千里眼の話をしたこともあったのだろう。


追記:段々、オカルト系ブログになってきちゃったか(汗