神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

平井金三と芥川龍之介


平井金三については、8月15日に言及したところであるが、『漱石研究年表』の記載の出典を示しておこう。
漱石全集月報」14号(昭和4年4月)の松浦嘉一「漱石先生の詞」に、松浦の大正5年1月6日の日記が引用されていて、そこに漱石が次のように発言したとある。

「(前略)君、平井金三ね、あいつ妙なことを言ふさうだね。いつか、あいつの前で大きな筆が逆さに立つたといふのだ。そして、特筆大書といふ文字が空中に出たといふんだ。すると、その夜、誰かゞ死んださうだ。支那で筆が逆さに立つと、何か兇い前兆だといふのだね。それから、ある時、あいつが道を歩いてゐると、空に印度人の姿が、大勢映つたさうだ。何かといふと、家へ帰つて見ると、ある印度人から手紙が来てゐたつてね。だからよそから、来る手紙なんか、もう見なくとも判るといふんだ。」


この時期に漱石のもとを訪問していた芥川龍之介は、恒藤恭とともに一高時代に平井から英語を学んでいる。明治43年9月11日、第一高等学校一部乙類(文科)に入学した芥川。早速、平井の英語の授業を受けた感想を山本喜誉司に送っている。


明治43年9月16日付け書簡(月推定)に「殊にクライブを講ずる平井金三氏の如きは every boyを「どの子供でも」と訳すのを不可とし必ず「小供と云ふ小供は皆」と訳させI have little moneyを「あまり金を持つてない」と訳すを不可とし「金を持つ事少し」と訳させる位に候へば試験の時が思ひやられ候」とある。芥川の同級には、他に石田幹之助菊池寛倉田百三(翌年独法科転科)、成瀬正一、松岡譲、久米正雄、佐野文夫や落第組の山本有三土屋文明がいたというので、平井に関する資料はまだ見つかるかもしれない。


さて、芥川龍之介は、平井に催眠術をかけてもらったり、神智学の話を聞いたことはあったのだろうか。