神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

山中貞雄とくろふね喫茶店の牧野月城

京都新聞』6月8日朝刊の連載「即位と改元の舞台裏」第1部第3回は「昭和大礼警備」。昭和3年の「三・一五事件」の思想弾圧が京都でも吹き荒れたとして、美術監督久保一雄の逮捕、拘留を紹介。久保は、5年の刑期を終えた後、次々と傑作映画の美術を担当。戦病死する山中貞雄監督の遺作である京都映画の傑作「人情紙風船」もその一つであるという。ということで、山中に関する話題。
千葉伸夫『評伝山中貞雄ーー若き映画監督の肖像ーー』(平凡社ライブラリー、平成11年10月)に、酒井孝治郎が『シナリオ』臨時増刊・山中貞雄追悼号(昭和13年11月)に寄せた一文が引用されている。

昭和四年一月一日、彼奴と一緒にラグビーを見た最初の日のこと。(略)あまりの寒さにとにかくどこか早く火の傍へといふので、われわれは四条西洞院のくろふねといふ喫茶店へゆき暖炉を囲んだ。(略)さてもう一度くろふねへ出かけやうと、折からのはげしい吹雪の中を猪熊から西洞院まで歩いたものゝ、くろふねはすでに扉を閉じてゐた。

山中は昭和2年3月京都市立第一商業学校を卒業し、マキノプロ御室撮影所を経て、当時は寛プロで助監督をしていた。文中の「くろふね」だが、先日中之島公会堂の古本市で開店案内の葉書を入手した。(大正)15年6月15日の消印で発信者は「京都市四絛西洞院東(電停前)/くろふね喫茶店/牧野月城」。「6月15日に開店したので、是非お立ち寄りの程を」という案内である。宛先は四条烏丸の十合呉服店内の浅井誠治宛である。「十合呉服店」は後のそごうのようだ。
偶然は続くもので、絵葉書などの即売会である寸葉会でも、喫茶くろふねの年賀状を見つけた。「賀正/元旦/牧野月城」の文面である。宛先は記されていないが、なぜか消印(末尾の5だけ)は押されている。右横書きで「郵便はかき」とあるので昭和8年2月以前のもの、切手は2銭の富士山切手(大正15年7月5日発行)で料金は昭和12年4月以降のもの。さて、どう解釈したらよいだろうか。
戦前の喫茶店の開店日と経営者が分かるのは珍しいと思うが、牧野の経歴は不明である。同名の人が、『商店界』10巻10号(誠文堂新光社昭和5年10月)に「京都市四絛通研究(京都)」を書いているようだが、未見。牧野というと、マキノプロの牧野省三を連想させるが多分無関係だろう。

評伝山中貞雄―若き映画監督の肖像 (平凡社ライブラリー)

評伝山中貞雄―若き映画監督の肖像 (平凡社ライブラリー)