神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

慶應義塾幼稚舎同窓会が日本初の喫茶店可否茶館で開催されていた

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 林哲夫氏の好著『喫茶店の時代:あのとき こんな店があった』(ちくま文庫)に、「明治二一年(一八八八)に上野(東京下谷西黒門町)に開店した「可否茶館(ルビ:カヒーさかん)」を日本最初の珈琲店だとするのが定説である」とある。この可否茶館は、明治21年4月に鄭永慶により開店し、25年に閉店した。星田宏司『日本最初の喫茶店:「可否茶館」の歴史』(いなほ書房、平成20年4月)に高橋太華、平田禿木秋山定輔らの回想が掲載されている。しかし、短期間の開店だったので、具体的日時、来店者が分かる史料は各種の日記を読むのが好きな私でも見つけられなかった。
 だが、今回『稿本慶應義塾幼稚舎史』(慶應義塾幼稚舎、昭和40年10月)を見ていたら、慶應義塾幼稚舎同窓会が可否茶館で2回開催されていたことが判明した。具体的には、明治22年9月22日に番外小集会を12名で、23年10月17日に第8回同窓会を25名で開催している。同窓会は明治19年11月23日が第1回で、番外小集会を除き第7回までは木挽町の万安楼で開かれている。24年3月1日の第9回からは柳屋で開かれた。第3回の分までは、早矢仕四郎*1による記録『慶應義塾幼稚舎同窓会記事』(仮題、塾史編纂所蔵)に基づき、参加者名が記載されているものの、第4回以降の分は省略されている。同記録に参加者名以外の可否茶館に関する記述があるのかどうか。研究者の諸君は、機会があれば調べてみてほしい。

*1:丸善創立者早矢仕有的の息子で、同窓会の世話人