神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

カフェー

燕楽軒開店初期の状況

大正7・8年に燕楽軒で開催されたり、開催予定だった会合の状況をまとめてみた。 大正7年5月12日 本郷三丁目燕楽軒開業披露広告(同日付東京朝日新聞) 6月5日*1 龍土会(本郷四丁目燕楽軒)・・・徳田秋聲・岩野泡鳴が幹事。白鳥正宗、前田晁、長田秀雄、有…

久米正雄「モン・アミ」の画家相澤八郎のモデル

武野藤介『文士の側面裏面』(千倉書房、昭和5年6月)の「誤失歩政策」は、久米正雄の「モン・アミ」について、 扨(さ)て久米正雄氏はこのチェッペリン伯飛行船に托して、小説「モン・アミ」一篇を「改造」へ寄稿して来たのだ。読んでみなくてもたいしたも…

大正11年の南天堂書房の新築移転広告

「雀隠れ日記」さんが、『帆船』大正11年8月号に載った南天堂書房の新築移転広告を紹介してくれている。寺島珠雄『南天堂 松岡虎王麿の大正・昭和』には、多田不二が創刊した同誌への言及はあるが、この広告への言及はない。このほか、南天堂書房については…

神戸におけるバハイ教徒と箱木一郎

夫賀川豊彦とともに神戸で活動していた賀川ハルの日記に 大正9年3月22日 昨夜集会に見へてゐた青年が来た。新しい宗教バハイ運動をして居る者だが、新学期から関西の神学部に聴講生として入ると云つてゐた。彼ハ又日本小女の下着の改良を計画して近々に着手…

谷崎潤一郎が描いたRussian Barの開店時期

谷崎潤一郎が大正4年11月『新小説』に発表した「獨探」に「Russian Bar」が出てくる。「露西亜生れの魔性の女が銀座の裏通りに怪しげなバアを開いたと云ふ事を新聞で知つた」とか、パウリスタに寄った後、そこに向かったという記述がある。この店について…

日本無産派詩人聯盟展覧会が開かれた神田ダブル

萩原恭次郎「表現派・ダダ」『文章倶楽部』昭和3年3月に、表現派について、 わが国においても運動としては若い詩人と画家によつて行はれた。(略)それら(詩人の原稿、画家カンバス−−引用者注)がカフエの壁にぶらさげられて詩展が行はれた。本郷の南天堂、…

田沢千代子の経歴

神保町にあった名曲喫茶田沢画房の看板娘田沢千代子の経歴が『昭和二十七年版日本婦人録』(綜合文化協会、昭和26年12月)に載っている。 田沢千代子 明治四十四年十一月三日生/東京都板橋区板橋町二丁目一二六番地 文化学院卒業、東京音楽学校を修了。渡米…

ナウカ社そばの田沢画房

大竹博吉が創立したナウカ。私は、昔のナウカにも今のナウカ・ジャパンにも一度も行ったことがない。さて、『大竹博吉 遺稿と追憶』(大竹会、1961年2月)に、高橋宣彦が「ハッピのおもいで」を昭和9年の話として書いているが、そこに田沢画房が出てくる。 …

桑沢洋子が働いた神保町の喫茶店

桑沢学園創立者の桑沢洋子さんは、神保町の喫茶店で働いていたことがある。桑沢の『ふだん着のデザイナー』(学校法人桑沢学園、2004年3月)によると、 私はどうしても東京にとどまりたかった。そこで一番先に選んだ職業は、神田の学生街にある喫茶店の店員…

神田小川町の喫茶店「ヴェルダ・ステロ」

柴田巌『中垣虎児郎 日中エスペラントの師』(リベーロイ社、2010年5月)にエスペランチストによる喫茶店が出てくる。 (略)大正から昭和へと時代が変わった頃、兄龍太郎が結婚を機に船員を辞めて上京、神田・小川町に喫茶店を開くことになった。虎次郎はこ…

神保町の茶房きゃんどると十返千鶴子

『かんだ』201号(かんだ会、平成22年12月)に「二〇〇号記念リバイバルエッセイ2」として、十返千鶴子「古本とコーヒー」*1が再録されていた。「きゃんどる」が出てくる。 (前略)銀座のコロンバンやトリコロールより、神田のきゃんどるやら、らんぶるな…

神保町の茶房きゃんどる

苅部直「変わらない風景」*1は、神保町の古書店街のはずれにあった珈琲屋「きゃんどる」について、次のように書いている。 この店に通うようになってからしばらくして、この店が、戦後文学の出発を支えた『近代文学』の同人たちや、石川淳などの作家が集った…

長谷川利行の「カフェ・パウリスタ」

東京国立近代美術館で所蔵作品展「近代日本の美術」が12月19日まで開催中。「長谷川利行特集コーナー」では「カフェ・パウリスタ」を展示。ホームページに、 テレビ番組「開運! なんでも鑑定団」がきっかけとなり発見された、長谷川利行(1891-1940)の《カ…

カフェ・スズキと徳川夢声

徳川夢声「神保町昔ばなし」によると、 電車通りをこえて裏神保町を、駿河台の方向へ行くと、右側の所に寄席があった。たしか神田の立花というイロモノ席だった。(略) 何しろ四十年も昔の話、今の桂文楽老師達が、まだ若年のチャキチャキで夢みたいである…

名曲喫茶田澤畫房の店主田澤學二と看板娘田澤千代子

大正末期に神田にあった田澤畫房という喫茶店については、2009年3月10日に言及して、その後店主や看板娘の名前も判明したが、店主の経歴が不明だったので、それっきり記事にしていなかった。私がぽっくりいっても、林哲夫氏なら再発見することも可能だとは思…

カフェー南天堂という名の南天堂書房の階上喫茶部

daily-sumusに南天堂書房のレッテル(ラベル)が出ていた。→「daily-sumus」の6月25日分。 寺島珠雄『南天堂 松岡虎王麿の大正・昭和』には、南天堂書房の二階の喫茶兼レストランには固有名はなかったとある。にわかには信じがたく、「じゃあ客はどう呼んで…

進々堂開店80年

京大北門前進々堂が開店80年*1ということで、京都新聞朝刊の今月2日・3日に「コーヒーの香る学舎 喫茶店進々堂80年」という記事が出ていた。店に通った人物として、会田雄次、上田正昭、河上肇、湯川秀樹のほか、森見登美彦が登場。このメンバーに森見…

らんぼおと竹内好夫妻

竹内好といっても、学生時代にちこっと読んだくらい。最近日記をつらつら読んでいると、色々発見す。 昭和23年12月25日 真善美社へゆくと、もう閉店。内山へより、らんぼおへゆく、四時ころ。五時定刻、一同集る。実藤も来る。東方から上条、小見山、杉、三…

岩国の「ほびっと」から京都の「ほんやら洞」へ

『sumus』13号のアンケートで「リコシェ」の柳ヶ瀬和江さんが挙げていた晶文社の『ほんやら洞の詩人たち』。同書の「夜話・自作詩朗読について」で有馬敲氏が、 「ほんやら洞」は、中尾ハジメ、早川正洋たちが、岩国へ「ほびっと」という喫茶店を作りに行っ…

書けない作家の末路

国枝史郎は昭和18年4月8日没。高見順の日記が、その死に言及していた。 昭和18年4月9日 国枝史郎氏逝去。前夜「風」のマダムから、重態と聞いていた。国枝氏が舞踏の研究所を開いたのは何年前か、その主催の会が川崎ダンスホールであって、新田夫妻、自分夫…

岡本清一と珈琲研究

戦後、同志社大学法学部教授、京都精華短期大学初代学長、京都精華大学人文学部教授などを務め、2001年1月に亡くなられた岡本清一という人がいる。『岡本清一政治評論集』(青山社、2005年4月)によると、「岡本は生活の手段として雑誌『珈琲研究』の発行を…

進々堂と安西冬衛

安西冬衛の日記*1に進々堂らしい喫茶店が出てくる。 昭和29年2月3日 氏とつれ立って城君と落合う予定の京大北門前の喫茶室へ行く。(略)/大きいガラス窓のあるフランクな喫茶店。長方形の重厚なテーブル。 進々堂はお勉強の好きな学生がたまる喫茶店で、黒…

昭和22年3月9日、らんぼお開店す

高見順が、神保町の喫茶らんぼおの開店について書いてる*1。 昭和22年3月10日 車で「らむぼう」へ行く。昨日が招待日だったが不参。寺沢君より今日来てくれと使いがあったので行ったのだ。 らんぼおの開店日が22年3月9日であることは間違いないと思うが、黒…

神保町の喫茶らんぼおと岩谷書店の土曜会

「土曜会」という会は幾つか『日本近代文学大事典』に出てくるが、岩谷書店が主宰した土曜会は出てこない。この土曜会は、神保町のらんぼおで開かれたものである。黒田三郎の日記*1によると、 昭和22年3月30日*2 昨日田村の所へゆくと土曜会に出ないかと云う…

ルンペン文士?星一夫

光瀬龍の公認ファンクラブ東キャナル市民の会の機関誌『キャナリアン』9号、1979年10月所収の「ここは遠きブルガリヤ・ドナウのかなた」に、昭和20年代の終わり頃から30年代始め頃にかけて、新宿三丁目の裏にあったプロヴアンスという喫茶店の話が出てくる*1…

箕面のカフエーパウリスタ

従来明治44年12月開店の銀座店がパウリスタ第一号店とされていたが、正しくは同年6月開店の箕面店だったことについて、長谷川泰三 『日本で最初の喫茶店『ブラジル移民の父』がはじめた カフエーパウリスタ物語』(文園社)に書かれている。このことは、3月1…

本荘幽蘭と白百合カフェー

幽蘭軒*1を経営していたという本荘幽蘭だが、他にもカフェーを経営していたらしい。 村嶋歸之著作選集第1巻所収の『歓楽の王宮カフエー』(文化生活研究会、昭和4年12月)によると、 つゞいて大正四年頃になると、元松竹女優上村あや子と本荘幽蘭の経営する…

円町の喫茶ソラリス

年をとってきて段々記憶が定かでなくなってきたが、円町にあった喫茶店ソラリスに、行ったことがあるのか、ないのかもはっきりしなくなってきた。まあ、あったとしても1回位だろう。店名の由来になったレム原作のソラリスの映画*1も、大阪で見たのか、岩波…

肉食系女子本荘幽蘭に食われた堀岡良吉

武林無想庵が、『サニン』の翻訳をするため、比叡山教王院に籠っていた大正4年。この時、宿坊である社会主義者と出会っている。名前を堀岡良吉といったらしいが、あの本荘幽蘭と関係のある男だった。『むさうあん物語40』によると、 二十四の明大生時代、年…

里見とんとカフェ・タイガー

里見とん詳細年譜の昭和3年の項に「この年、「タイガー」にいたお夏(高崎雪子)が銀座にバー「ルパン」を開業、弓享はパトロンではないかと書かれる」と出てくるカフェ・タイガー。里見とこの銀座にあったカフェーについては、酒井眞人『カフエ通』(四六書…