神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

前衛画家前田藤四郎の喫茶エピナール

先月橋爪節也先生の講演「大大阪の時代と前衛絵画ーー前田藤四郎の場合」*1を聞いてきた。その中で前田が喫茶店を経営していたという話が出た。架蔵の大阪市立近代美術館建設準備室編『前田藤四郎ーー‘‘版’’に刻まれた昭和モダニズム』(東方出版、平成18年2月)の「年譜」を見ると、昭和8年の条に「12月大阪市東区(現・中央区)平野町に喫茶「エピナール」を開店」とあった。また、『碑ーー脇清吉の人と生活ーー』(脇清吉の碑をつくる会、昭和42年9月)の金田広一「飲み友だち脇さん」にも出てきた。

淡路町の会社の近くに、版画の前田藤四郎さんの奥さんがやってられた「喫茶エピナール」や、クリスチャンのおやじさんが「天は人に一業を授く、ヒラオカコーヒーオンリー」のスローガンをかかげてブラジル一本の「ヒラオカ」など、まだまだうまい喫茶店があった。

これは金田がカガシ化粧品本舗の広告部に入社した昭和12年のことで、脇とは喫茶店で「植物、動物の話、すまいの話、発明の話」をしたという。喫茶エピナールについて情報を集めていきたい。

*1:シンポジウム「〈具体〉再考」第3回「大阪と前衛美術」