神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

あやすーぃ雑誌『夜の神戸』の編集者山本周五郎と寺田新社長

山梨県立文学館で4月29日(土・祝)から6月18日(日)まで「特設展歿後五十年 山本周五郎展」開催。ということで、山本周五郎ネタを。木村久邇典『山本周五郎の須磨』(小峯書店、昭和50年9月)に、大正期山本が須磨に下宿し、夜の神戸社で観光ガイド誌『夜の神戸』の取材を担当していた時代について書かれている。木村が足立巻一の見つけた夜の神戸社の元社長寺田新に筆談で聞いたことと現地の取材をしたことが書かれている。それによると、

・夜の神戸社は、栄町五丁目の株取引所の向かいにあった。
・『月刊夜の神戸』は大正10年6月創刊で、昭和14年戦争による雑誌の統廃合で廃刊。60頁で、定価は30銭。
・山本は花隈、福原、三宮あたりを担当し、花柳界、喫茶店などのゴシップ記事を取材した。
・寺田は木村が取材した昭和48年時点で葺合区の春日野センター街で神東コーヒという喫茶店を経営、76歳。

寺田は戦前神戸の夜の世界に力を持っていたようで、「ツイン21古本フェアではどんだけ?こんだけ!」で言及した湊川西洋料理酒場喫茶業組合の『創立十周年記念誌』(昭和12年3月)によると、

(略)先づ隠れたる功績者即ち機関新聞「夜の神戸」社長寺田新氏を忘れてはならぬと思ふ[。]遡つて十年前氏は偶々社用を佩びつゝ市井の同業者を訪問中随所に聞く不満の声、社会的圧迫と迫害、女給の争奪煽動等頻々と起る不祥事に業者は一致団結の力に縋らんとするも当時組合組織の確立なく(略)氏は猛然起つて、組合結成を決意した(略)

その結果、昭和3年4月11日組合が創立され、寺田は常任理事に就任している。
ところで、「さんちかホールで『児童読物之研究』(葺合教育会児童愛護研究会、大正12年3月)」において神戸市葺合区の児童の読書調査で見つかった「不健全なる内容を有する雑誌」を『夜の神戸』ではないかと推測したが、やはり子供が読んでいいような雑誌ではなく、正解だったようだ。
足立によると、

その雑誌は山本さんのいうようにあまり高級でない内容のものだったらしいんですがね、現在ではたくさん残ってなくて、奇こう本になっているらしいんですよ。神戸大学の社会科学関係の先生だかが、古書展で合本になったのを落札したとかいっておりましたが、図書館にももちろんない雑誌で、この地方での当時の風俗を知るうえでは、なかなかの資料じゃあるらしいんですよ。

という。神戸大学の先生が持っていたという『夜の神戸』。山本が取材した大正末期の神戸のあやすーぃ店も載っているかもしれないが、今どうなっているのだろうか。