神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

三条河原町にあったカフェーカナリヤとマヴォイスト渋谷修ーー斎藤光『幻の「カフェー」時代』(淡交社)への補足ーー

f:id:jyunku:20220114183611j:plain
 学生時代のサークルの先輩でもある斎藤光先生の『幻の「カフェー」時代:夜の京都のモダニズム』(淡交社、令和2年9月)126頁に、カフェーカナリヤが出てくる。昭和3年9月『京都日出新聞』連載の「ステッキ」第5回「カフエー」の一文である。

コーヒらしいコーヒを手軽に飲ませてくれる店は鎰屋に柏屋、カナリヤ位のものだ。その他のカフエー喫茶店、茶寮はバーでありレストランであり、或は又其れ以上の非売品を売る様な不心得なカフエーが多い。女給さんが多い。
(略)

 また、167頁では内務省警保局が昭和8年末か9年初めに作成した「カフェーと女給」に基づき、「小さきもの」として「カフエーカナリヤ/河原町三条下ル」を挙げている。
 このカフェーカナリヤのものと思われる年賀状をシルヴァン書房から入手して持っている。冒頭に挙げた写真で、左から昭和3年、4年、5年の年賀状である。「喫茶カナリヤ」や「オアシスカナリヤ」とあるが、「河原町」や「河原町蛸薬師上ル」とあるので、同定してもよいだろう。4年の年賀状によると、河原町の小さき巣に籠ってから3回目の年越とあり、昭和元年(大正15年)の開業のようだ。
 ところで、この昭和4年の年賀状は、シルヴァン書房の矢原さんによると、マヴォイストでもあった渋谷修の作品だという。そこで、市道和豊『渋谷修の絵葉書:渋谷修の見つけ方 上巻』(室町書房、令和3年5月)を見ると、確かに載っていた。更に、渋谷の『裸女三十六趣納札所』(昭和2年)の「版主名・一覧」*1の筆頭に、カフェ・オーナーとして「カナリヤ(藤井正雄)」とある。「大正12年装幀家としてデビューしていたマヴォイスト牧寿雄ーー五十殿利治「関西『マヴォ』について:牧寿雄と『マヴォ』関西支部」への補足ーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介したマヴォイスト牧寿雄は京都でも活動していたので、もしかしたら渋谷や藤井は牧の消息を知っていたかもしれない。引き続き要調査である。
参考:「渋谷修と竹久夢二: 表現急行2
f:id:jyunku:20220114183749j:plain

*1:他の版主として、小西一四三、西田静波、青山督太郎、田中緑紅、藤浪吟[ママ]蔵、三好米吉、三宅吉之助らの名前がある。