神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

尖端的な森江書店

芳賀徹先生が館長を務める岡崎市美術博物館が、昨年2月から3月に開催した「あら、尖端的ね。」展の図録に、関東大震災後、バラック装飾社が手がけた東條書店やマヴォが手がけた森江書店の写真が載っている。東條書店については、既に言及したことがあるので…

「SFマガジン同好会」の紀田順一郎 

『塵も積もれば・・・宇宙塵四十年史』(出版芸術社、平成9年11月)の「「宇宙塵」入会者全名簿」で見かけた名前。 今岡清、大伴昌司、小野耕世、鹿島茂、桑田次郎、小浜徹也、川合康雄*1、佐藤俊=紀田順一郎、新戸雅章、巽孝之、筒井正隆*2、豊田有恒=緒…

昭和40年における日本SF作家クラブ

大伴昌司編「日本SF人名鑑」というのが、『SFの手帖』(恐怖文学セミナー、1965年3月)に載っている。これで、広瀬正を見ると、 広瀬正(ひろせ ただし) 1 仕事の種類:創作 2 生年月日:一九二四年九月三〇日 3 出身地:東京 4 最終出身校:日大工…

最初は『マイナス・ゼロ』に関心がなかった司馬遼太郎

河出書房新社で龍円正憲氏の同僚だった藤田三男氏が、「タイムマシンに乗って戻ってきた−広瀬正・小説全集の完結」を『すばる』2009年3月号に書いている*1。 昭和四十四年、司馬遼太郎の第一エッセイ集『歴史と小説』のことで、足繁く司馬邸へ出向いた。司馬…

田中貴子『中世幻妖―近代人が憧れた時代』(幻戯書房)

甲南大学図書館の館報『藤棚』23巻1号、2007年4月の「自著を語る」で、田中貴子先生は、 「今後五年間、長期休暇は書き下ろしのため差し押さえされていますが、「骨と死体の文学」「京都論批判」などなど、構想はいっぱいです!」としていた。しかし、その後…

小谷野敦『日本文化論のインチキ』(幻冬舎新書)の目次

序文第一章 西洋とだけ比較されてきたという問題 −ー『「甘え」の構造』『ものぐさ精神分析』など 日本文化論のベースにあるもの 大流行した『「甘え」の構造』は夏目漱石論 インチキ文化論の大本はヘーゲルにある 要注意人物フロイトと岸田秀の『ものぐさ精…

広瀬正と龍円正憲の出会い

珍しい資料ではないが、ネット上には出てないようなので記録しておこう。 広瀬正と長年親交があった加納一朗*1の話として、山村正夫『推理文壇戦後史4』の「多才な異色SF作家・広瀬正」にある一節*2。 出世作「マイナス・ゼロ」も、昭和四十年から『宇宙…

スウェーデンボルグの『天界と地獄』をたたえた三浦関造と三島由紀夫

明治43年3月鈴木大拙は、スウェーデンボルグの『天界と地獄』を刊行*1。以降、スウェーデンボルグに関心を持つ人が増えた。 三浦関造は、『教育の世紀』3巻4号(大正14年4月)掲載の「神秘」で、 スウエデンボルクを近代の代表的人物の最も偉大なるものとし…

女でしくじったもう一人の早稲田大学図書館員

毛利宮彦という早稲田大学図書館の職員が図書館を追われたことについては、畏友の書物蔵氏が、書いてくれている*1が、女でしくじった早稲田大学図書館員がもう一人いた。戦前、早稲田大学図書館主事で、日本図書館協会の評議員兼理事を務めた小林堅三という…

岩波書店の『読書のすすめ第14集』に出てくる岩波文庫

『読書のすすめ第14集』(非売品)で言及された岩波文庫(ただし、岩波文庫版で読んだと明記されていないものも含む)をあげる。・岩波文庫で学んだ博物学 荒俣宏 アリストテーレス『動物誌』、ラバック『自然美と其驚異』、『完訳ファーブル昆虫記』、ラマ…

日本近代文学館維持会員名簿を見る

2009年度日本近代文学館維持会(724名)で見かけた名前。 綾辻行人、嵐山光三郎、荒巻義雄、安西水丸、石原慎太郎、石原千秋、磯崎新、伊吹和子、今橋映子、上田正昭、大沢在昌、大橋健三郎、大村彦次郎、小沢信男、鹿野政直、川上弘美、菊池秀行、来生えつ…

敗戦前後の戦線文庫

『戦線文庫』については、益友の書物蔵氏が「http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20070226」で話題にした後、解説*1付きで復刻版が出たりした。『戦線文庫』は、昭和13年9月戦線文庫編纂所から創刊され、20号前後から興亜日本社・戦線文庫編纂部が引き継ぎ…

松崎天民と薄井秀一=北澤秀一

ヨコジュンさんは、どうされておられるだろうか。『明治時代は謎だらけ』であげておられる薄井秀一に関する情報のほかにも、別史料を発見。 松崎天民『人間世間』(磯部甲陽堂、大正4年10月。復刻・クレス出版)に、 国民新聞八王子支局長で、俺の友人である…

山尾悠子の「月蝕」に見る懐かしき固有名詞

山尾悠子さんは、昭和48年同志社大学文学部入学。『SFマガジン』昭和51年10月号に「月蝕」を書いたときは、四回生だったと思われる。昔読んだと思われるが、読んで見ると全く記憶のない作品であった。色々懐かしき固有名詞が出てくる。 ・「京都書院で買っ…

岩波文化へのコンプレックスを露呈した筒井康隆

倉田卓次氏は『ユリイカ』1993年12月号の「老SFおたくの繰り言」*1で、 SFMがコンテスト−一、二期の眉村・小松・半村・筒井の四作品中では、半村良の「収穫」が印象的だった−経由で登場させた日本人作家たちが、小松左京を筆頭にSFの域を越えて、次々…

国会図書館にもない本が多い訳

帝国図書館時代の書籍の納本率がどのくらいだったかは知らないが、見たい本に限って所蔵していないのを不満に思ったことがある人も多いだろう。『読書之友』2巻4号(大正2年4月)所収の「納本せし書物の始末」で、内務省図書課員がこんなことを語っていた。 …

戦時下の金尾文淵堂

金尾文淵堂の金尾種次郎については、石塚純一『金尾文淵堂をめぐる人びと』に詳しい。しかし、戦時中の動向についてはあまり記述がないので、補足しておこう。金尾文淵堂は、戦時中の企業整備により、大蔵出版(株)、朝日書房、甲子社書房、厚徳書院、光融…

福岡県の文学者

勉誠出版の『福岡県文学事典』に立項された作家。 赤川次郎/秋山清/石橋忍月/五木寛之/伊藤野枝/井上哲次郎/牛島春子/宇野浩二/梅崎春生/大西巨人/加藤介春/川上音二郎/河北倫明/北原白秋/岸田日出刀/北原鉄雄/小島直記/後藤明生/小宮豊隆…

反古にされた三浦関造の断訳宣言

三浦関造の断訳宣言の後も、翻訳書が幾つか出ているようなので、変だなと思っていたら、断訳宣言は反古にされたようだ。 為藤五郎編『現代教育家評伝』(文化書房、昭和11年1月)*1によると、 三浦関造君(福岡県)翻訳・著述家 (略) ▽その君が、先年何と…

『出版ダイジェスト』の特集「私の好きな晶文社の本」

『出版ダイジェスト』5月1日号は、曽我部恵一氏のエッセイ「本のページをめくるとき」と特集「私の好きな晶文社の本」。 後者は、『sumus』13号にもあったような。大塚真祐子さん(三省堂書店神保町本店)は、荻原魚雷『古本暮らし』をあげている。その他の…

小樽文学館の「日露戦争期の雑誌と書籍─国木田独歩・村井弦斎とその周辺」(黒岩比佐子コレクションによる)展

南陀楼綾繁氏は、2006年1月小樽文学館を訪問。「ぼくの書サイ徘徊録」第55回で「小樽で見つけたアナーキーな文学館」として紹介している。同館の玉川薫副館長が優れた企画者で、「伊藤整の『日本文壇史』」展(1998年7月〜9月)や「山口昌男氏の、(仮設)書…

成田図書館嘱託木村荘太

『成田図書館八十年誌』によると、 木村荘太 (昭和一五・九−昭和二一・六*1) 明治二二年二月三日東京市芝区三田四国町に生れる。(略) 今沢館長の招請により昭和一二年一二月より同一三年二月まで「成田山史」編纂委員に加わり、同一五年より当館に勤務し…

求道者三浦関造の断訳宣言

『カラマーゾフの兄弟』の日本における最初の翻訳者*1である三浦関造だが、大正10年4月にブラスコ・イバニエズ『黙示の四騎手』を訳したのち、翌11年の『トルストイ童話集』が戦前では最後の翻訳書のようだ。なぜ三浦が翻訳をしなくなったのか、その謎が大正…

三九会の生方敏郎と楠山正雄

『楠山正雄の戦中・戦後日記』により、敗戦前後の生方敏郎の動向が少し判明。 昭和19年9月20日 夕、三九会が上野丸万で催される。会する者は、松本赳、生方、陣内、島崎、長江、高尾、小原、原及び楠山以上九人。 20年11月11日 三九会、木内学園に開く。会す…

枝元枝風の生年

枝元枝風(枝元長夫)の生年が判明。坪内逍遥の日記によると、 昭和6年8月7日 枝元よりかすてら 五十五歳にて停職 但し改めて嘱託云々 『新聞年鑑』を見ると、枝元は昭和5年11月現在で東京日日新聞の社員だが、嘱託という表示はなく、6年11月現在で嘱託と表…

「古本と少女」の古本屋

かつて、「あべの古書店」の店主は、「全国古書店案内」の[静岡中部編その二]に次のように書いた。 (略)間口二間奥行き二間のひつそりとした古本屋が、町中で五十年も商売を続けている。自分はこの店を訪れるたび、つげ義春の「古本と少女」を思い出す。残…

リブロ版と朝日新聞版のゼロ年代の50冊

リブロ版のゼロ年代の50冊(「http://www.libro.jp/news/assets_c/2010/05/Zero50LISTL-865.php」)も現地で見ますた。朝日新聞版との重複は、 町田康『告白』 吉田修一『悪人』 伊藤比呂美『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』 小川洋子『博士の愛した数式』 村上春…

生方敏郎肝入りの生方会と石橋湛山

生方敏郎の「略年譜」は詳細年譜になりつつあるが、石橋湛山の日記にも新たなネタを発見。 昭和23年1月7日 終日東京在邸。午後生方敏郎氏来、古人今人再刊したき由。 2月10日 午後二時頃より生方敏郎氏のあつせんに依り芸術家の集会を事務所に催す。中澤弘光…

中央公論社の雨宮庸蔵と六人社の戸田謙介

六人社の戸田謙介は、早稲田大学時代から雨宮庸蔵の友人だった関係で、雨宮の『偲ぶ草』に名前が出てくる。 だから本当に人を紹介しようとする場合、私は本人と同行するか、前以て相手にあって話しておくかを原則とする。例えば友人の戸田謙介の場合。谷崎潤…

生活社の前田広紀と六人社の戸田謙介

生活社の社長鉄村大二と編輯長をしていたという前田広紀、それに生活社に統合された六人社の社長戸田謙介が柳田國男の『炭焼日記』に出てくる。 大正19年1月9日 三国書房及戸田、生活社鉄村及前田来(略) 7月13日 るす中六人社より使来る。「国史と民俗学」…