山尾悠子さんは、昭和48年同志社大学文学部入学。『SFマガジン』昭和51年10月号に「月蝕」を書いたときは、四回生だったと思われる。昔読んだと思われるが、読んで見ると全く記憶のない作品であった。色々懐かしき固有名詞が出てくる。
・「京都書院で買ってやった漫画雑誌」
・「昼の間は祇園会館の三本立て<名画>を二本みてすごした」
・「「ひさご」でちらし寿司」
・「「ジャワ」で十二歳以下お断りのお子様定食」
・「「弥次喜多」で自家製の白玉入り蜜豆」
・「BALの脇の公衆電話」
・「お定まりの<一メートル間隔のアヴェック>」
・「ニュートーキョー二階の「グレコ」」
・「運転手に「上賀茂御園[ママ]橋」と行先を告げて」
などなど。「京都書院」は消滅。「アヴェック」は死語となった。「一メートル間隔」というのは、「鴨川等間隔の法則」と呼ばれているらしいが、鴨川の河川敷にカップルが一定の距離を置いて座っている間隔が常に等間隔であることを指す。時間帯によって、その間隔は異なるという。
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田川浩之・森洋介は「書誌鳥」(しょしちょう)、誰ぞこと書物蔵氏は「司書長」(ししょちょう)、なんちて。
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