『カラマーゾフの兄弟』の日本における最初の翻訳者*1である三浦関造だが、大正10年4月にブラスコ・イバニエズ『黙示の四騎手』を訳したのち、翌11年の『トルストイ童話集』が戦前では最後の翻訳書のようだ。なぜ三浦が翻訳をしなくなったのか、その謎が大正10年5月29日付け有島武郎の三浦宛書簡で判明。
先日はお出下さつたのに勝手を申上て失礼しました、其後あなたが時事にお寄せになつた文は第一回だけ拝見しました(略)
有島武郎氏に感謝して云々の標題は新聞の方の仕事だと始めから思つてゐましたので、勿論何とも思ひませんでした。然しあなたがあの決心をなされた結果、他人よりも二倍だけの多数の御繁累を養はるべき費途を擲たれる事になつたと知りました時は、私は思はず冷つとしました。自分は呑気な境遇にゐながら、あなたをそんな境遇に導いたかと思つたからです。(中略)
あなたの今度の御決心は、私の言葉がある暗示となつたかは知りませんが、あなたがそれをあなたのものとなさる以上は、それはあなたのものであつてもう私のものではありません。(中略)
『有島武郎全集第十四巻』の「解題」によれば、この書簡は三浦関造月刊パンフレット『自然』*2第九冊(大正15年12月15日)に掲載されたもの。「時事」とは、大正10年5月25日及び26日の『時事新報』夕刊で、三浦は「有島武郎氏に感謝しつゝ決然=訳筆を折る(東小路基栄氏の非難に答ふ)」を執筆している。これは、同月19日の同紙夕刊掲載の東小路の「「黙示の四騎手」の出鱈目=三浦関造氏を難ず=」で、三浦の『黙示の四騎手』の誤訳やスペイン語の一語も解さない人が英訳等から重訳したものだろうと非難したことに対し、答えたものである。三浦は、反論するわけでもなく、英訳からの重訳で、自分はスペイン語は少しも知らないと認めた上で、断訳宣言をしてしまう。
僕よりも優秀な翻訳家があつて僕の翻訳に憤つて居るのを知つて、何の面目あつてか、僕は訳筆を続けよう。(略)僕は過去約十ケ年翻訳を以て殆ど唯一の生活手段とし普通の家族に二倍する程の係累を背負つて来た。今訳筆を投じ已に契約あるものを焼く*3事は実に一家を惨酷なる飢餓の深淵に投げ込むことであるけれ共良心に生きる事は物質に生きる事よりも尊い。僕は求道者である、神聖なる生に憧 [空白]て止まざる者である。
(略)
最後に僕は右の件につき心配して下すつた有島武郎兄に感謝しなければなりませぬ。貴方が今日仰せ下すつた「どうなさるお考へかと実は心配して居ました・・・藝術家として良心を明かにされたがよくはないでせうか!」との御一言は私の最後の決心を益々明瞭にしました。涙を以て感謝します。
有島の言葉を受け、断訳した三浦は、その後神秘主義の世界へ深入りすることとなる。翻訳家としての名を残すことはできなかったが、オカルティストとして名を残すことはできた。
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ジュンク堂の『書標』5月号は「無明舎出版特集」で7頁に『ナンダロウアヤシゲな日々』が登場。
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ベスト新書もまたすごいタイトルのものを・・・。猫猫先生も次に何かやってくれるかしら。