河出書房新社で龍円正憲氏の同僚だった藤田三男氏が、「タイムマシンに乗って戻ってきた−広瀬正・小説全集の完結」を『すばる』2009年3月号に書いている*1。
昭和四十四年、司馬遼太郎の第一エッセイ集『歴史と小説』のことで、足繁く司馬邸へ出向いた。司馬さんの興がる話などとてもできない私は、自然に今進めている仕事の話をして時間塞ぎをした。一つは山崎正和氏の書き下ろし評論『鴎外 闘う家長』、一つは『マイナス・ゼロ』。山崎さんが山崎正董翁(『横井小楠遺稿』の編著者)の孫であると申し上げると、「ほう」と目を輝やかせた歴史家司馬遼太郎も、『マイナス・ゼロ』がSFと知ると、少しの興味も示さなかった。SF、探偵小説には興味が薄いと自らも言った。
のちに『マイナス・ゼロ』を読んで、広瀬の熱烈な支持者になる司馬も、この段階では何の関心もなかったようだ。ちなみに、この藤田は、昭和47年3月広瀬が路上で心臓発作で倒れ、麹町警察署から「路上病者」の所持品に名刺があったと社に連絡を受けたときに、出張中の龍円に代わって大塚監察院に駆け付けた人物である。
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