『楠山正雄の戦中・戦後日記』により、敗戦前後の生方敏郎の動向が少し判明。
昭和19年9月20日 夕、三九会が上野丸万で催される。会する者は、松本赳、生方、陣内、島崎、長江、高尾、小原、原及び楠山以上九人。
20年11月11日 三九会、木内学園に開く。会する者、岡村、生方他。
市川房枝等婦人三、四名。大いに酔い帰る。
「解説」によると、「三九会」は、早稲田大学英文科明治39年卒業の同期会。「岡村」は岡村千曳で、早稲田大学図書館長。「木内学園」は同期の木内辰三郎(昭和17年10月没)の経営で、キヤウ夫人が校長だった。
校友会名簿でフルネームのわかる人を記すと、陣内喜三、島崎新太郎、長江邦四郎、高尾忠堅、原俊芳。『昭和人名辞典』によると、長江は暁星中学教頭兼幹事(ただし、東大卒となっている)。なお、市川房枝は校友ではない。
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内澤旬子さんのブログが再開。
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塩澤幸登『「平凡」物語 めざせ!百万部 岩堀喜之助と雑誌『平凡』と清水達夫』(河出書房新社)にロマンス社(3月27日参照)が出てきた。←既に塩澤実信『活字の奔流[焼跡雑誌篇]』(展望社、2004年11月)で詳しく書いておられた。