神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧

朝日新聞社の伝書鳩を心配する高見順

高見順の日記に伝書鳩ネタあり。 昭和20年1月26日 帝国ホテルの横山氏の部屋を訪れたが不在。四丁目まで歩く。朝日新聞社の上に伝書鳩が舞っている。何か眼をひかれた。 1月30日 (略)爆撃の被害地を見に行くことにし、地下鉄で銀座に出ようとすると、新橋…

新潮社の石原源三、死して『日本文学大辞典』を残す

秋田雨雀の日記に、新潮社の編集者石原源三なる人が出てくる。 昭和10年7月7日 きょう、午後鵠沼の尾崎がきて、新潮社の石原源三君の死を知らせてくれた。東洋大学出の男で日本文学[大]辞典の編纂に従事し、仕事の完成と同時に死んだ。仕事のために倒れたよ…

おまいら、くだらないブログを書いてる暇があったら、索引をつくれ!

わしがよく引用する日記にも、人名索引のあるものとないものがある。 索引のある日記 依田学海、永井荷風、古川ロッパ*1、志賀直哉*2、森鴎外*3、宣教師ニコライ、西田幾多郎、木佐木勝*4、佐藤栄作、有馬頼寧、高松宮索引のない日記 秋田雨雀、野上弥生子、…

坂西志保さんが好き

女性の司書というと、故人だが、坂西志保さんが著名な人の一人だろう。中公新書の『アメリカ議会図書館』で初めて名前を知ったような覚えがあったが、改めて見てみると、名前は出てくるものの、詳しい説明はない。むしろ、反町茂雄の『一古書肆の思い出2』…

元々社「最新科学小説全集」の翻訳家の経歴

元々社の「最新科学小説全集」を翻訳した13人の訳者の経歴については、既に11人まで紹介してきた。残るはあと二人である。ウィルソン・タッカー『未来世界から来た男』の訳者落合鳴彦については、ラセール・ギルマン『赤い門』(朋文社、昭和32年6月)の「…

原阿佐緒の恋愛感を決定づけた村井弦斎の小説

黒岩さんも少しずつ元気を回復しつつあるようなので、強烈な弦斎ネタを投入。 原阿佐緒は石原純との関係で知られる美人のようだが、村井弦斎の小説の愛読者だったという。原の伝記小野勝美『原阿佐緒の生涯』によると、明治36年宮城県立高等女学校三年生に進…

戦時下の美術史家−矢代幸雄の場合−(その2)

華北綜合調査研究所の嘱託だったのだろうぐらいに思っていた戦時中の矢代幸雄。もっと深く戦時中の北支の文化工作に関与していたようだ。大蔵公望の日記をさかのぼると、 昭和16年7月16日 六時、錦水に左の人々を招き矢代氏を中心として北支の文化工作に関し…

国枝史郎と原阿佐緒の酒場

秋田雨雀の日記に、国枝史郎を囲む会も出てきた。 昭和5年5月7日 午後六時ごろ山水楼の国枝君の会へいく。(略)国枝君はバセドウ氏が殆んど半癒していた。(略)原阿左(ママ)緒という女性にはじめて逢った。魅力のある顔だがかなりなお婆さんだ。白井喬二…

昭和6年の新仏教座談会

珍仏教、じゃなかった、『新仏教』は明治33年7月創刊、16巻8号(大正4年8月)で廃刊となる。この雑誌に集ったメンバーの集まりが昭和6年に開催されたようだ。秋田雨雀の日記によると、 昭和6年9月5日 夜、多賀羅亭の新仏教の座談会に招かれて反…

少数説という名の多数説

福来友吉が大正2年に東大助教授を辞職したとするのを「少数説」と呼んだが、新刊の原田実『日本トンデモ人物伝』や、小田光雄『古本探究3』もこの説に依拠している。実際のところ、数から言うと、「少数説」でなく「多数説」となっている。困ったものである…

岩波書店の2月の新刊案内から

もうひとつ体調が悪いので手抜き。 岩波の2月の新刊案内に、『思想』2月号(1月26日発売)に横山茂雄「牛涎的博士−坪井正五郎をめぐって−」があがっている。あの横山氏かしら。 また、松尾尊禱『わが近代日本人物誌』が2月24日発売。これまで書物に未収録の…

戦時下の美術史家−土方定一の場合−

岡崎次郎によると、華北綜合調査研究所文化局に、美術評論家の土方定一が研究員としていたように思うとされる。確かに、土方の年譜(ネット「http://www.pref.mie.jp/BIJUTSU/hp/event/catalogue/artist/higasi.htm」でも見られる)を見ると、「昭和16年4月…

渋沢栄一と霊術家

センター試験には渋沢栄一が出てきたので、渋沢栄一の日記*1に見る霊術家の話をする。 大正14年3月6日 午飧後、田中栄八郎氏霊気術行使者たる牛田従三郎氏同伴来訪す(略)霊気術者たる牛田氏は予か宿痾治療の為 田中氏より勧告せらるるなり(略)蓋し其施術…

戦時下の美術史家−矢代幸雄の場合−

矢代幸雄は、『私の美術遍歴』で戦争中から戦後にかけてのこととして、次のように回想している。 (略)鉄道界の三長老、満鉄の大御所であり、後に交通公社の総裁になられた大蔵公望さん、北京中心の華北交通鉄道の総裁の宇佐美寛爾さん、奈良中心の大きな電…

華北綜合調査研究所の内紛と大蔵公望

岡崎次郎は『マルクスに凭れて六十年』に、華北綜合調査研究所で森岡理事長と伊沢副理事長の間に亀裂が生じ、伊沢が辞任したと書いている。研究所の設立に関与し、顧問となった大蔵公望が、日記にこの内紛について記録していた。 昭和17年6月6日 一〇時、軍…

福来友吉の東京帝国大学文科大学助教授追放に関する二つの説

福来友吉が、千里眼事件後、東京帝国大学文科大学助教授を追われた時期については、二つの説がある。 通説 大正2年10月27日に休職の発令を受け、2年後の4年10月26日に休職期間満了により、自動的に失職した。少数説 大正2年10月27日に辞職した。 実際は前者…

生方敏郎の保証人星野光多

紅野敏郎『「學鐙」を読む』の正・続の紹介が先週の『週刊読書人』(1月15日号)に出ていた。そこで、同書の話。 正編の方に、生方敏郎が出てくる。紅野先生によると、早稲田の学籍課の資料には、敏郎の当時の住所は小石川区同心町六の正宗忠夫方とある、つ…

華北綜合調査研究所と岡崎次郎

国松文雄が戦前勤めていた華北綜合調査研究所とは何ぞやと思っていたら、誰ぞも愛読した岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年』に出てきた。 中国土着産業の財産を接収してできた基金を元本にして「華北綜合調査研究所」(以下では綜研と略称)が設立され、文化…

野依秀市と妹尾義郎

妹尾義郎日記で見つけた野依秀市を記録。 昭和8年10月13日 午後六時から時事新聞講堂で、帝都仏青発会記念講演会が開かれ出講した。林霊法君開会の辞、浅野研真、倉田百三氏、次にわし、岡本かの子女史、武田豊四郎、江部鴨村、野依会長といふ順で進んだ。今…

鵜澤総明と内山若枝を結ぶ線

川上初枝=若林初枝=内山若枝=日高みほの人脈は広い。妹尾義郎の日記によれな、鵜澤総明ともつながっている。 昭和15年1月11日 内山初(ママ)枝女史来訪、事件の弁護に関してお話を承る。 3月4日 午後一時、鵜沢総明先生を御自宅に訪れ、事件について御た…

翻訳家列伝13(その8)

自分のブログに驚いていてはいかんのだが、元々社の最新科学小説全集の翻訳陣の一人下島連は、高見順を玄洋社々員横山雄偉に紹介した人物だった。2007年7月7日に書いてました。 さて、その下島が、同全集について一文を残していた。同じく同全集の翻訳者の一…

ある建国大学生が見た新京特別市立図書館

西村十郎『樂久我記−満洲建国大学 わが学生時代の思ひ出−』にある図書館が出てきた。 昭和17年9月5日 午後図書館に赴いての勉強となつたが、火曜日の演習発表に備えての外出であつたのに目的に叶ふ書籍はなく、やつと二冊に眼を通したが、満鉄の付属図書館と…

書けない作家の末路

国枝史郎は昭和18年4月8日没。高見順の日記が、その死に言及していた。 昭和18年4月9日 国枝史郎氏逝去。前夜「風」のマダムから、重態と聞いていた。国枝氏が舞踏の研究所を開いたのは何年前か、その主催の会が川崎ダンスホールであって、新田夫妻、自分夫…

猫好きの国文学者が古本の元をとったとさ

マスター一年生の時の話というから、彼女は二十二、三歳だっただろうか。研究テーマに『渓嵐拾葉集』を選んだその人は、その伝本を有する滋賀県坂本の叡山文庫へ向かうこととなった。場所柄をわきまえてか、いつもより化粧を薄くした彼女。初めてのことなの…

飯森正芳と堺利彦らの時代

『大本七十年史』360-361頁に、飯森正芳への注として「大正九年か十年ころ東京にでて、大杉栄・堺利彦その他無政府主義者・社会主義者とも交わり」とあるが、飯森と堺の初対面はその頃かと思ってしまうと、大間違い。たとえば、岡崎一「「狄嶺文庫」発掘(1)−…

堀口大學編輯の『時世粧』

『堀口大學全集第八巻』巻末の資料4「時世粧総目次」によると、里見弓享「三種の食味」は『時世粧』(編輯兼発行人堀口大學)の創刊号(昭和9年11月23日発行)に掲載された。 - 早稲田大学のウィキペディアは「このページは荒らしを理由として方針に基づき、…

井上通泰から見た増田正雄

井上通泰の増田正雄評が久保田米斎の日記*1に出ている。 大正11年4月26日 此日南天荘先生より曩日会せし大阪の増田氏は商估に似す太た偉き人なるよしをきく 氏はもと信州松本の産、幼より独学にて英語を習得し少許の金をもちて大阪へ出てゝ商を初めしか遂に…

エラ・ケートと新聞人坂口二郎

平井一弘論文によると、エラ・ケートは、明治23年来日、40年早大で会話を受け持ち、42年再来日し、9月より早大で教えたという。典拠は主に『英語青年』らしい。ところが、坂口二郎の日記*1によると、より古くから早大で英会話を教えていたようだ。 明治36年1…

野依秀市と北大輝

佐藤卓己先生の『考える人』の連載「天下無敵――戦後ジャーナリズム史が消した奇才・野依秀市」に、売文社の堺利彦が出てきた。 さて、その野依だが、太田宇之助の日記に出てくることは10月7日に紹介したが、同日記にまだあったので紹介しておこう。 昭和18年…

坂の向こうの秋山真之

NHKの『坂の上の雲』は12月までお預けのようなので、日記で淳さんこと秋山真之を探した。 参謀本部第二部長だった宇都宮太郎の日記に出てきた。 大正2年4月20日 早朝、(略)海軍大佐秋山真之(支那問題を主にして来りし如くなるも、本年度は増師問題の…