神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

書けない作家の末路

国枝史郎昭和18年4月8日没。高見順の日記が、その死に言及していた。

昭和18年4月9日 国枝史郎氏逝去。前夜「風」のマダムから、重態と聞いていた。国枝氏が舞踏の研究所を開いたのは何年前か、その主催の会が川崎ダンスホールであって、新田夫妻、自分夫妻で出かけた。新田と妻は踊れ、自分と新田の細君は踊れない。
その後、国枝氏は喫茶店など開いていた。−−書けない作家の末路は哀れだった。ひと事に非ず。


国枝史郎伝奇全集巻六』所収の略年譜によれば、
昭和12年 この頃、日本橋蛎殻町にダンス教習所を開く。
  14年 2月、京橋に喫茶ロゼッタを開き夫人に経営を委せる。

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河出文庫から光岡明千里眼千鶴子』が出てた。解説は、一柳廣孝氏。元版は多分名古屋の古本屋で入手。
千里眼千鶴子 (河出文庫)