神保町系オタオタ日記

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福来友吉の東京帝国大学文科大学助教授追放に関する二つの説

福来友吉が、千里眼事件後、東京帝国大学文科大学助教授を追われた時期については、二つの説がある。

通説 大正2年10月27日に休職の発令を受け、2年後の4年10月26日に休職期間満了により、自動的に失職した。

少数説 大正2年10月27日に辞職した。


実際は前者が事実、後者が誤りであるが、便宜的に「通説」と「少数説」と呼ぶことにする。
長山靖生千里眼事件』(平凡社新書)には、「大正二年十月二十七日、福来友吉東京帝国大学休職の辞令を受け取った。そして休職満期の大正四年十月二十六日、同学を退職した」とあり、通説の立場に立っている。東京大学文学部が所蔵する福来の履歴書(公的記録と思われる)には、

大正2年10月27日 文官分限令第十一条第一項第四号ニ依リ休職ヲ命ス

  4年10月26日 休職満期


とある。当時の文官分限令によれば、「休職ヲ命セラレ満期ニ至リタルトキハ当然退官者トス」とあるので、大正4年10月26日を以って自動的に失職したということになる。なお、長山氏は「退職」という言葉を使っているが、「辞職」と解されるおそれがあるので、「失職」とした方が適切と思われる。事案は異なるが、昨年佐藤優氏が失職したが、あの「失職」である。佐藤氏の場合、辞職であれば支払われる退職金は、失職のため支給されていない。一方、福来の場合は、前記履歴書に「同(大正4年)11月2日 休職満期ノ処在官七年以上ニ付俸給月額三箇月分給与」とあり、これは退職金に相当すると思われる。


黒岩さんの弦斎本には少数説に依拠した記述があるが、文庫版の刊行時に訂正されるべきと思われる。この説の内容は、福来自身がそう称していたようで、大正15年高野山大学に提出した履歴書に、「大正2年10月27日 願ニヨリ東京帝国大学文科大学助教授ヲ免セラル」と書かれており、戦後財団法人福来心理学研究所が作成した福来の年譜にもこれに基づくと思われる記述がなされている。福来にとっては、休職の発令を受けた時点で、助教授でなくなったという意識が強かったと思われる。なお、最近河出文庫となった光岡明千里眼千鶴子』所収の「福来博士の革命」には、「大正二年、福来は東大助教授を辞職。これに先立って一年間、休職の期間があったという」との記述があり、小説とはいえ、間違いが多い記述である。


(参考)中沢信午『超心理学福来友吉の生涯』(大陸書房、1986年4月)など。

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