珍仏教、じゃなかった、『新仏教』は明治33年7月創刊、16巻8号(大正4年8月)で廃刊となる。この雑誌に集ったメンバーの集まりが昭和6年に開催されたようだ。秋田雨雀の日記によると、
昭和6年9月5日 夜、多賀羅亭の新仏教の座談会に招かれて反宗運動の話をした。驚いたことには参会者は昔の新仏教の人々で、加藤咄堂、高島米峯、岸部、松宮、副島八十六、石沢、石井柏亭の諸氏で、なかに一高生が一人いた。石井柏亭は一番愚劣な質問をするので驚かされた。かなり反動的なところがある。加藤咄堂という人は比較的理解のある人らしい。高島米峯は既成教壇[ママ]にたいしてはかなり不平のある人だが、結局は反動的な立場にある。
(午後、六時、府下杉並町阿佐ケ谷六八七、石沢久五郎。多賀羅亭。「反宗教の道徳的根拠」。(略))
「松宮」は、松宮春一郎かしら。
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朝日夕刊の連載「ニッポン人脈記」は、「差別を越えて」をやっている。昨日は、内澤旬子さんが日本遺産に選んだ芝浦と場も出てきた。中々、テーマにしづらい話題だが健闘している。