黒岩比佐子『古書の森 逍遙』の書籍コード170は、タゴール著、和田富子訳『タゴール有閑哲学』(東京朝日新聞社、昭和4年9月)。これは、タゴールの第3回目来日時の講演を刊行したもの。タゴールの第1回目来日は大正5年6月だったが、その時の講演の様子について、秋田雨雀の日記で見てみよう。
大正5年6月10日 大学のタゴールの講演は満員だといってことわってきた。明日すこし早くいって高楠博士にあってみよう。
6月11日 午後一時ごろ家を出て帝大のタゴール講演会へゆく。(略)武田豊四郎君からキップをもらったので講演をきけた。千五、六百。外人も多かった。タゴールの講演はいい声で詩を朗読するような感じで、やや眠くなる。エロシェンコ、アレキサンダー、リシャール夫妻にあった。(略)かえりに、中村屋によって、エロシェンコ君と文明について議論をした。
「高楠博士」は、高楠順次郎と思われる。エロシェンコは目だっていたようで、同月12日の東京朝日新聞に「露の盲詩人エロチエンコ氏が赤いトルコ帽を被つて手を引かれて来たのが眼に附いた」とある。在京の知識人に加え、オカルティストも結集したと思うが、詳細は不明だ。鈴木大拙は、当時この講演のあった東京帝国大学の講師だったので、年譜に記載はないが、聴衆の中にいたかもしれない。
また、三浦関造は、この2日前に横山大観邸でタゴールと会見している*1が、講演会に出席したかどうかは不明。
タゴールは、翌月慶応義塾大学でも講演をしている。再び、秋田の日記によると、
大正5年7月2日 午前、河合君*2がやってきて(略)リシャール夫人のところに切符があるというので、二人で一時ごろリシャール夫妻のいる茗荷谷町を訪う。(略)夫人といっしょに電車で三田にゆく。もういっぱいになっていた。タゴールの講演くらい人望のある講演をみたことがない。慶応、早稲田、女子大の教師、外国人をいれて千余いた。“The spirit of Japan”は帝大のときより調子が高く、立派であった。若人が多かった。
ちなみに、宮澤賢治の年譜によると、日本女子大学校家政学部の学生である妹トシが、この日タゴールの自作詩「ギタンジャリー」の英語・ベンガル語の朗読を講堂で聞いたという。「講堂」とは、日本女子大学校の講堂で、慶応の後、同大学校でも講演をしたようだ。ただし、トシが聞いたというのは確認されたものではなく、推測である*3。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
「妖怪いそがし」に取り付かれた誰ぞは、「いそがし、いそがし」と言いながら、下鴨の森に出現するらしい。げっ、げっ、げげげのげげっち!