昭和14年12月9日 鎌倉行き。堀辰雄さんの奥さん、家の前に出ていて呉れる。小林秀雄がいる。いろいろのはなし。立原の日記。堀さんの家の設計。立原のこと思い出されて、彼が我々の前から消えて了ったことによる悲しみを計量する。堀さんのところの手料理。(川端さんから聞いたという焙り乍ら食べる肉。)
帰り夫人と駅迄送って来て下さる。
「堀さんの家の設計」については、多恵子の『来し方の記・辰雄の思い出』(花曜社、昭和60年5月)によると、
杉並の母の家の庭に小さい家を建てることに話がきまった。それは昭和十五年の初め頃だったろうか。立原道造さんの友人、生田勉さんが相談に乗って下さった。全面的に自分の思うようにはいかなかったかもしれないが、余裕が出来たら建て増しをしたいなどと言いもした。
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「げげっちの書物蔵」の歌
げっ、げっ、げげっちのげ〜
夜は書庫で運動会
たのしいな、たのしいな
せどり師にゃ学校も、試験もなんにもない
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