神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

本郷菊富士ホテルに潜伏するあやす〜ぃインド人シャストリー

大正期の秋田雨雀を取り巻いた外国人の神秘家は多数いたが、インド人のシャストリーもその一人である。秋田の日記によると、

大正5年11月25日 夜、リシャール訪問。印度の大学教授、ミスタ・シャストリイにあう。この人は早稲田で“On ahtma”の講演をした人。「ヨーガ」の説明を聞いた。椅子に腰かけながら禅をやっていた。ペルシャ語ができる人で、ペルシャの詩を絶賞していた。

  7年1月29日 朝起きて光子女史の講演の支度にかかった。(略)青年会館でお茶を飲んだ。武田豊四郎君、インド人のシャストリイ君なぞがきた、有島武郎君もきていた。ぼくは『「東方苦」の犠牲者としての光子女史』という題で話した。(略)シャストリイはウパニシャッドの太陽讃美の作詩を歌った。(略)(今日、光子三週年会−−青年会館。義務を果たした。愉快!)

後者は、宮崎虎之助の妻光子の三回忌である。シャストリーと武田は親しかったようで、大正5年12月2日付東京朝日新聞には「薄伽梵歌(ルビ:バカハドギーター)ソサイテー 今回来朝せる印度宗教家シャストリー氏を講師とし武田豊四郎氏を会長にして十二月五日午後三時より毎週一回早大に於て薄伽梵歌を開講す」とある。また、このシャストリーは、来日後本郷菊富士ホテルに滞在して、同じ宿の大杉栄と親しくなり、「特別要視察人状勢一斑 第八」(大正六年五月二日−同七年五月一日)の大杉栄の項に記録されている。

○右ノ外大杉ハ小石川区茗荷谷町七十二番地ニ在留スル仏国人「ポール、リチヤール」(印度革命ニ同情セルモノ)ト交際セシコトアリ又大杉ハ大正六年初本郷区菊坂町八十二番地下宿菊富士「ホテル」ニ滞在中同宿印度人「シヤストリー」(無政府主義者トノ評アル者ニシテ早稲田大学哲学講師タリ)ト交際シ爾来屡々往復シツヽアリ。

この怪しいシャストリーだが、近藤富枝『文壇資料本郷菊富士ホテル』や昨年出た大杉豊編著『日録・大杉栄伝』では、戦後首相となったラール・バハードゥル・シャーストリーと同一人物としているが、首相の方は明治37年生まれなので、同一人物とするには無理がある。

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