神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

紅葉門下篠原嶺葉の末路

黒岩比佐子さんの『古書の森 逍遙』で書籍コード083は、篠原嶺葉『家庭小説 新不如帰』(大学館、明治39年8月初版、40年4月6版)。嶺葉については、ヨコジュンさんも「近代日本奇想小説史 または、失われたナンジャモンジャを求めて」の「第68回 奇想小説の落穂拾い」(『SFマガジン』2008年4月号)で嶺葉について、「探偵小説では、かなりレベルの高い作品を幾つか残している。『探奇小説奇想天外』、『家庭小説可憐嬢』などは、いま読んでもおもしろい」としている。そのほか『日本文壇史』の索引を見ると、第6巻、第7巻、第14巻に登場するようだ。『日本近代文学大事典』には、

篠原嶺葉 しのはられいよう 生没年不詳。小説家。本名は璽瓏。末期藻社の作家。明治三五年ごろより大正初期にかけて通俗的な娯楽本位の作を多く発表。伊狩章は「立川文庫の明治家庭小説篇」と評している*1。『換果(ママ)篇』にも『青切符』が採録されている。代表作は紅葉の霊前に捧げた『田鶴子』(明治四二・一如山堂書房)。(略)大正一四年一一月の『断腸亭日乗』に麻布区会議員候補となったのちの嶺葉の記事がみえる。(紅野敏郎

断腸亭日乗』の記述とは、

大正14年11月27日 予この日裱匠の談話によりて、始めて麻布区会議員候補者篠原大吉といへるは、嘗て紅葉山人の門生たりし嶺葉子なることを知りぬ。日々行商人の如く町々を徘徊し、人家の勝手口に来り腰を屈して投票を請ふさま気の毒の至りなり。地下の紅葉山人若しこれを知らば果して何の言をかなすべき。

嶺葉は腰を屈した甲斐があったようで、『麻布区史』の「歴代区会議員」によると大正14年11月二級選出に「篠崎(ママ)大吉」とある。その後の消息は、不明である。

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妖怪シャカシャカ出没予報
10月7日(木)〜11日(月) 第10回四天王寺秋の大古本祭
10月8日(金)〜13日(水) 大阪天満宮 天神さんの古本まつり
10月30日〜11月3日(水・祝) 百万遍知恩寺 秋の古本まつり

*1:『新訂後期硯友社文学の研究』文泉堂出版、昭和58年10月。同書によると、紅葉の「十千万堂日録」明治34年9月(22日)に国府犀東の紹介で、篠原璽瓏が入門を求めてきたと書かれているとある。また、作品の初出は、「竜浮淵」『中学文藝』明治35年9月だという。