神保町系オタオタ日記

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『東洋画報』創刊披露宴

『東洋画報』は明治36年3月10日創刊。同月16日付東京朝日新聞によると、発行所の敬業社の社長柴田、主幹の国木田独歩、後見役の矢野文雄が主人役となって、同月14日日本倶楽部で、創刊の披露宴が開催された。文学家、美術家50余名が出席したという。出席者としては、依田学海の名前だけをあげているが、尾崎紅葉の日記で小栗風葉も出席していたことがわかる。

明治36年3月14日 九時半風葉来ル、東洋画報祝宴より帰り、十時半去る。

風葉は、この後8月号に「地底の宮殿」を執筆している。
なお、小林一三が創刊号を同月17日に買っていたことは、昨年2月5日参照。