浦西和彦編著『石川近代文学事典』の中山忠直の項に、「父の中山忠也は漢方医学者」とあって、ヨコジュンさんは父は小学校教師の中山忠愛としているので、この項を書いた浦西氏は間違いが多いなあと思ってしまった*1。しかし、よくよく調べると中山忠愛=中山忠也であった。東京朝日新聞の昭和11年10月10日に中山忠也の訃報が載っていて、「中山胃腸薬本舗中山忠直氏厳父忠也(忠愛)氏は持病の中風で臥床中九日[午]前八時牛込区若松町一二の自宅で死去した享年七十一」とあった。中山忠也が忠直の父だったということになると、親子で天津教の神宝を拝観していたことになる*2。