神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

静坐の師岡田虎二郎より長生きした坪内逍遥

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』の書籍コード122は、『岡田式静坐法』(実業之日本社、明治45年3月初版、6月18版)。これは、クレス出版から復刻版が出ている。私が、岡田式静坐法の岡田虎二郎の名前を覚えたのは、久野収鶴見俊輔現代日本の思想』(岩波新書、昭和31年11月)だったと思う。そこでは、生活綴り方運動の源流として、芦田恵之助をあげ、

四十歳のときに、岡田虎次(ママ)郎について、静座をはじめた。この岡田という人は、日本の近代思想史の上で独自の思想運動をおこした人で、そのあたえた影響はひろくかつ深いのだが、運動の形について何の痕跡ものこっていない。(略)この人に師事した人々に、田中正造、木下尚江、石川三四郎のような社会主義者相馬愛蔵および黒光夫妻のような実業家兼文学者あり、さらに芦田恵之助のような教師があり、それぞれの人に別の意味で深い思想的刺激をあたえている。

としている。これを初めて読んだ当時、いわゆる京大式カードにメモした覚えがある。ここには、名前があがっていないが、岡田に師事した著名人としては坪内逍遥がいる。年譜によると、

明治44年1月31日 岡田虎次(ママ)郎の静坐法の席に陪す。二月九日以後約三年間研究所にて週一度づつ開くこととする。

とある、この頃の日記は欠けているが、同年10月の日記には、

明治44年10月24日 昨夜はじめて岡田式の真境に近づく、我藝術観に多少の影響あるべし、正に其陶然たる酔中境か 藝術の感興か 按摩より得る快感か

とあり、次第に深入りしていったようだ。その後、日記によると、最後に岡田式静坐を行ったのは、大正3年4月である。

大正3年3月12日 岡田式ニ列す
        大きに快よし 少しも痛まず
 
   3月26日 岡田式
  
   4月16日 岡田式当日 

この後、静坐を行ったという記述はないようだ。大正9年10月17日に岡田は亡くなるが、逍遥はその事実のみを日記に記載して、何の感想も書いていない。

大正9年10月19日 岡田虎二郎氏尿毒症ニテ死去せりと聞く

静坐の師岡田は数え49歳で亡くなったが、逍遥は77歳まで生きた。

(参考)逍遥がはまった各種健康法については、2006年12月27日2007年11月30日

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日経に出てたが、大阪の高島屋史料館で「高島屋貿易部アルバムと下絵展」開催中。9月25日まで。無料。

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(再掲)
国会図書館館長の長尾眞氏の『電子図書館』(岩波書店)の新装版が出てた。しかし、新装版よりもお膝元の国会図書館を何とかしてくれ。

・毎年のように発生するOPACのシステムダウン。しかも、お詫びの一言もホームページには出ない。
雑誌記事索引から検索して申し込みができるのはいいのだが、冊子体とマイクロ版の両方存在する文献の場合、雑誌記事索引からは冊子体とのみリンクしているようで、カウンターで「マイクロでの利用のみ可能で、別書誌扱いとなります。手続きをするので、お名前を呼ぶまでお待ちください」とやられてしまう。一々利用者の承諾を得なくとも別書誌(マイクロ版)への切り替えの手続をしておいてくれるか、雑誌記事索引とマイクロ版をリンクするようにしてくれ。
・「小谷野」で検索すると、画面上部の「検索条件」の欄に「小谷埜」と表示される(実は、「小谷野」に限らず、「野」はすべて「埜」と表示される)。検索に何の支障もないのでどうでもいいことではあるが、気になる。

電子図書館 新装版

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