芥川龍之介と宮崎直次郎の関係について、まとめておこう。
まず、関口安義編『芥川龍之介辞典』によると、宮崎の娘つるは、芥川の異母弟である新原得二(父は芥川と同じ新原敏三、母は芥川の母ふくの妹ふゆ)に嫁いでいる。
その他、『芥川龍之介全集第二十四巻』(岩波書店、1998年3月)所収の年譜によると、
大正3年10月末 滝野川町字田端435番地に転居。この地は、養父芥川道章(実母ふくの兄)の一中節仲間の宮崎の紹介。
6年7月29日 池崎忠孝が来訪。夕方、自笑軒で食事をとった後、池崎宅を訪れる。
7年2月2日 塚本文と結婚。田端の白梅園で内祝言をあげる。披露宴は、自宅近くの自笑軒で内輪で行われ、友人では菊池寛、江口渙、池崎、久米正雄が出席。
8年11月20日頃 自笑軒で龍村平蔵、香取秀真と食事。
9年2月8日 宮崎が来訪。
10年11月 この月、自笑軒で開かれた道閑会(田端文化人の会)に出席。北原大輔、野上豊一郎、香取、鹿島龍蔵、下島勲らが出席。
11年1月21日 佐佐木忠一(茂索の兄)が、雲泉、直入、鉄心の軸を持って来訪。宮崎は雲泉一幅を買う。
12年4月30日 午後5時、自笑軒で開かれた瀧井孝作の送別会に出席。芥川と菊池の世話で催され、久米、茂索、小島政二郎、南部修太郎、岡栄一郎、下島、室生犀星、山本有三、小穴隆一、河東碧梧桐が出席。
7月10日 自笑軒で行われた「新潮合評会」に、徳田秋声、菊池、千葉亀雄、久米、久保田万太郎、中村武羅夫らと出席。
11月10日 午後5時、自笑軒で開かれた道閑会に、幹事として出席。香取、菊池、小杉放庵、鹿島、野口功造らが列席。
13年3月7日 『新小説』の座談会(怪談会)に、馬場孤蝶、泉鏡花、久保田、白井喬二、小杉、長谷川伸、平山蘆江、長田秀雄、畑耕一、斎藤龍太郎、沢田撫松、菊池らと出席。
12月26日 午後5時、道閑会に出席。香取、鹿島、小杉、下島、久保田が列席。
14年1月9日 午前9時20分、宮崎が脳出血のため死去。
2月7日 菊池、三宅周太郎、岡が来訪し、自笑軒で共に夕食をとる。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
読売は「私のイチオシ文庫」特集。黒岩さんは、梯久美子の『散るぞ悲しき』(新潮文庫)。井上寿一氏は、『マイナス・ゼロ』を選んでいた。