神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

堀多恵子の祖父土屋彦六

堀多恵子の『雑木林のなかで』に、多恵子の祖父に関する記述がある。

私の母方の祖父、土屋彦六は日本メソジスト教会の最初の牧師であり、教会を退いてからは静岡県の見付町で小さい集会をしたり、日曜学校を開いたりしていた。その頃、私は両親が海外にいたので、東京の女学校の寄宿舎に入れられ、学校が休みになると見付町の祖父母の所に帰って過していた。

この土屋を『日本キリスト教歴史大事典』で引くと、

つちやひころく 土屋彦六 1856.6.27(安政3.5.25)−1930.4 牧師。(略)杉山孫六は兄。84年に遠州森城主の娘で、下谷教会の創立メンバーのひとり土屋としと結婚、土屋姓となった。賤機舎のマクドナルド,D.に英語を習い、信仰に導かれ、74年9月27日11名の英学生と共に受洗し、静岡教会を設立した。伝道者となる志を起し、東京鳥居坂の東洋英和学校に学び、80年9月9日、日本最初のメソジスト部会が下谷教会で開かれた際に、平岩愃保、山中笑と共に按手礼を受けた。下谷教会を振出しに、甲府教会(3回*1)を牧し、大正期に入って静岡県に移り、見附教会を最後に50年余の牧者の生活を送った。

とある。参考文献に太田愛人の名著『明治キリスト教の流域 静岡バンドと幕臣たち』があがっている。そこには、

土屋の長女を母にもつ堀多恵子さんの思い出によると、早大出身の父、加藤譲次との結婚に際して、諒解を求めにきた加藤の友人で早大出身の新進政治家永井柳太郎(永井道雄氏の父)の有名な弁舌も土屋牧師には通じないで、ほうほうの態で帰っていったというほほえましいエピソードが残っているらしい。

引用者注:中公文庫版による。元版では、2箇所の「早大出身」は「金沢出身」とある。

これで、多恵子の父親の名前がわかった。早大の校友会名簿を見ると、明治38年政治経済学科卒。永井も同様である。大正14年11月現在で、日本郵船広東支店長とある。

また、太田の書にも書かれているが、結城禮一郎『旧幕新撰組結城無二三』に、

お父さんの代りには東京から杉山彦六という人が来て甲府で伝道することになった。杉山さんはその後遠州森の城主土屋家の養子となり、ずうっと伝道を続けていらっしゃる。今もお達者で遠州の見附においでだ。おじい様とは武士同志非常に仲がよく、おじい様がAさんと喧嘩をする時にはいつも仲に入って取りなし役を勤めて下さった。

と、土屋は、あの結城無二三(引用文中の「お父さん」、「おじい様」)とも親しかった人物だという。堀多恵子も「日本の有名一族」にエントリーかしら。

追記:堀多恵子編『妻への手紙』所収の「晩年の辰雄」によると、多恵子は19歳の時に父に死なれたというので、加藤譲次は昭和7年か8年に亡くなったことになる。

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柴田幹夫編『大谷光瑞とアジア 知られざるアジア主義者の軌跡』が出てた。が、高い・・・

大谷光瑞とアジア 知られざるアジア主義者の軌跡

大谷光瑞とアジア 知られざるアジア主義者の軌跡

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[妖怪シャカシャカ] 古書展などで風もないのに、絵葉書が「シャカシャカ」とめくれると、「妖怪シャカシャカ」の仕業と言われる。図書館絵葉書があると、そこでピタッと止まるという。

*1:『日本メソヂスト静岡教会六拾年史』によると、明治14年2月〜15年1月、18年5月〜20年9月、40年6月〜42年4月。