神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

南木芳太郎と『食道楽』の時代

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』に熱中しすぎて、熱中症になりそう。さて、書籍コード176は第二期『食道楽』(食道楽社、昭和6年5月)。黒岩さんによると、

(略)少し間を置いて、同じ『食道楽』という雑誌が、昭和二(一九二七)年九月に食道楽社から創刊しているからだ。発行人・編集人は松崎天民で、昭和一一(一九三六)年彼の死去とともに終刊している。これが第二期の『食道楽』と呼ばれるものである。

という。この頃の『食道楽』や松崎天民昭和6年1月に『郷土研究上方』を創刊する南木芳太郎の日記*1に出てくる。

昭和5年2月11日 朝食道楽社より電話、今晩六時よりつる源にて座談会を催すニ付、是非出席を乞ふとの事。(略)七時つる源の食道楽座談会に行く。松崎天民氏、藤村氏、林白雲庵、福良竹亭、須磨対水、芦田止水、高安六郎、吉岡烏(ママ)平、東京松本氏と小生の十人漫談に花が咲く。十時過ぎ散会。芦田君と電車にて帰る。

この座談会は、『食道楽』の5年3月号に掲載。南木の日記には、『食道楽』関係の大阪食道楽会とともに、『上方食道楽』や上方食道楽会というのも出てくる。

昭和5年1月16日 上方食道楽社より第一回漫談会大豊にて開く旨の通知書。(略)
        上方食道楽社第一回漫談会出欠の問合わせの電話に対し、病気欠席の旨を返答ス。

    1月23日 上方食道楽豊福君より本月中に何とかして原稿頼むといふハカキ 

    2月28日 伊達俊光氏より文化女塾の件、志茂源吉氏より祝いの礼状、『ちゝり』十一号、『上方食道楽』創刊号。

    3月9日 上方食道楽も大阪食道楽も不参欠席の返事を出す。

    3月10日 上方食道楽会(魚岩)に於て午後六時。

    3月11日 大阪食道楽会、五時半よりつる家にて。

『上方食道楽』というのは不詳で、関西大学総合図書館が創刊号(昭和5年3月)〜2巻2号(6年3月)を所蔵しているようだ。また、細江光『谷崎潤一郎 深層のレトリック』によると、倉田啓明が同誌に執筆しているという。この南木芳太郎の日記は、続刊されるようだが、坪内祐三氏や林哲夫氏にお勧めである。

*1:大阪市史史料第七十四輯『南木芳太郎日記 大阪郷土研究の先覚者』。ジュンク堂で売っている。