神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2007-08-01から1ヶ月間の記事一覧

日本古書通信社の謎

福島鑄郎『戦後雑誌発掘』中の「企業整備後の主要新事業体および吸収統合事業体一覧(昭和十九年三月二十一日現在)」に、 (株)南北社 中市弘 (統合参加社)甲鳥書林 天理時報社 朱雀書林 六甲書房 日本古書通信社 *(新事業体の担当部門)(一)文学(…

コックリさん、コックリさん(その5)

森銑三『明治東京逸聞史』によると、『団々珍聞』(明治19年4月24日号)に、「コクリ」の大流行を伝えて、「こゝもコクリ、かしこもコクリ、東西南北至るところコクリの大流行なり」とあるとのこと。また、森は、「このこツくりさんことプランセットは、西三…

古本屋の丁稚も通った食道楽おとわ亭

「座談会 戦前古本屋の生活 修行時代の思い出」(『日本古書通信』平成6年4月号)によると、 −当時よく行かれた喫茶店や食堂の思い出は、 (略) 山田 万崎デパートの食堂、三省堂の食堂、おとわ亭、モーリ、それと爼橋を渡るけれど九段食堂という大衆食堂が…

コックリさん、コックリさん(その4)

漱石と催眠術については、長山靖生『鴎外のオカルト、漱石の科学』に書かれている。 漱石とコックリさんの関係はどうだったのだろうか。 「明治41年 断片G](『漱石全集』19巻)に、「コツクリサンノ話/既婚者、未婚者、子供ノアルナシニ就テノ観想」とあ…

コックリさん、コックリさん(その3)

寺田寅彦の日記*1にもコックリさんが顔を出していた。 明治25年5月26日 帰リニ余ガ姉ノ狐狗狸三ヲナスニ逢ヒ之レヲ為シテ帰(ママ)ニ入湯シテ寝ヌ 5月27日 此夜モ亦狐狗狸三ヲ為ス 余ノ母及徳モ来リ見ル 余及別役君ト大ニ之レヲ論ジ其妄ヲ破ル 余ガ姉怫然色…

大橋図書館司書大藤時彦

『日本史研究者辞典』を見たら、大藤時彦のより詳しい経歴がわかった。 1902年 7月16日 現長岡市生 23年 早稲田大学文学部社会学科中退 26年 大橋図書館司書 33年 柳田國男の「民間伝承の会」同人 37年 大橋図書館退職 48年 民俗学研究所理事 49年 民俗伝承…

コックリさん、コックリさん(その2)

桑原三郎監修『巌谷小波日記 翻刻と研究』によると、巌谷がコックリさんをしたのは、明治20年1月26日・27日・29日、4月9日・10日。 これと同時期に、コックリさんをしていたのが、芳賀矢一。 『芳賀矢一文集』*1所収の芳賀の日記によると、 明治20年4月10日 …

コックリさん、コックリさん(その1)

ちくま学芸文庫に収録された柴田宵曲の『明治風物誌』。 「コツクリさん」という項目があり、 1 坪内逍遥が『柿の蔕』に、明治19年頃、『今日新聞』の小西義敬に招待された席に、三脚と円盤*1が持ち出され、同紙の記者だった斎藤緑雨らとともにコックリさん…

国枝史郎の喫茶ロゼッタ

国枝史郎の年譜*1を見ていたら、昭和14年2月の欄に、「京橋に喫茶ロゼッタを開き夫人に経営を委せる」とあった。 気になる喫茶店だが、詳細は不明。 追記:いつのまにか、ゆまに書房から『コレクション・モダン都市文化 カフェ』なる本が出ていた。しかし、…

三村竹清が太霊道ブームに喝!

三村竹清の日記*1によると、 大正7年12月6日 六日午前六時 麹町一番町太霊道本部田中守平方焼く 天下見通しの様なることを新聞一頁広告をする男也 山師之正体世間悟れりや否 同年12月7日の東京朝日新聞によれば ●太霊道焼く 昨日午前六時二十五分麹町区一番…

帝大出の古本屋

帝大出身の古本屋というと、まずは反町茂雄が思い浮かぶ。岩波書店の創業者岩波茂雄も当初は古本屋だったので、この人も入ることになる。その他、赤門前にあった島崎書院の島崎八郎という人もそうらしい*1。 秋田雨雀の日記に出てくる次の人は誰のことだろう…

富士図書館と熱海図書館

坪内逍遥の日記*1によると、 大正4年10月31日 熱海の図書館の件に付西某来、西忠義 余丁町五十四番地 10年9月4日 午前 角田喜三郎、富士図書館の件に付来訪 (参考)大正4年9月5日 静岡の角田喜三郎より来書 「熱海の図書館」は、大正4年10月設立された熱海…

鹿野政直と書肆アクセス

鹿野政直は「地域文化の表情」(『アクセス』昭和53年8月1日号)で次のように書いている。 だからセンター*1は、ぼくにとっては地域文化の窓である。(略)入ると、日本を北から南へ地域別の書棚、未解放部落問題の書棚、ミニコミ雑誌の書棚とならんでいる。…

灯火、書に親しむ東京図書館

湯島聖堂に東京図書館があった時代の話。幸田成友は同図書館に通っていた。幸田の『凡人の半生』(共立書房、昭和23年4月)によると、 小学の上級の頃から東京図書館へ出入した。これは現在上野公園内にある帝国図書館の前身で、御茶の水の旧聖堂(大成殿)…

岡田式静坐に、催眠術見学、忙し、忙し。

坪内逍遥の日記*1から。 明治45年2月21日 酔夢へ催眠術 楠山へ喜劇の件 29日 岡田式 池辺三山死去 弔問 西村を介して琴平町博士書院に古屋鉄石の催眠施術を見る 明治45年2月29日、逍遥は岡田式静坐をし、前日に亡くなった池辺三山の弔問に行き、西村酔夢こと…

煎餅を焼くのが嫌になった平井呈一

河東碧梧桐の日記「海紅堂昭和日記」によると、 昭和8年11月23日 うさぎやの弟平井程一君従来塩煎餅屋を営みしが氏ハ小説家希望にて煎餅をやく気のりせず近来うつちやり放しのよしきく 我が家族之を継承してやるべしとうさぎやに相談す 常収入のないアヤフヤ…

倉田啓明と坪内逍遥の関係

谷崎潤一郎や坪内逍遥の名を騙ったとされる倉田啓明。6月12日に紹介したところである。 その倉田と逍遥の関係に疑問が生じてきた。 逍遥の日記によると、 大正6年1月17日 倉田啓明より脚本稿を、イプセン模倣ニテ物に成らず 6月25日 朝 倉田啓明 「葛城の神…

書痴仲間に衝撃走る!島田翰の自殺

三田村鳶魚の日記*1によると、 大正4年8月11日 林若樹氏ニ至ル、島田釣一ガ獄中ニテ縊死シタル由ヲ承ル。 死んだとされる島田釣一は、当時一高教授(昭和3年に東京文理科大学教授)。実際に亡くなるのは昭和12年。 大正4年に死んだ(正しくは7月にピストル自…

最相葉月の残された宿題

誰ぞも読んだという最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)。 最相さんは、『SF japan』夏号のインタヴューで次のように語っている。 お父さんは、まだまだ謎が多いですね。私自身も興味があります。特に「中国、満州に進出した後の星製薬が何…

依田学海と催眠術(その2)

再び『学海日録』を引用すると、 明治29年10月14日 晴。杉浦梅翁を訪ふて、午餐の供にあふてかへる。(略)この日梅潭の娘に、その先夫蔭山某が催眠術を行ひしを問ひけるに、いかにもこれを研究して行ひしとなり。(略)よてこの術をよくせる医士鈴木満二[マ…

依田学海と催眠術(その1)

『学海日録』の索引で催眠術を引く*1と、第10巻に次のような記述があることがわかった。 明治29年10月11日 ○荊婦と英人フラツクの催眠術を新声館にみる。(略)一人の童子を呼出し、フラツクこれに向て直立し、しばらく息を凝らすとみるほどに、童子忽ちうし…

アジア復興レオナルド・ダ・ヴィンチ展

「アジア復興レオナルド・ダ・ヴインチ展覧会特輯号」となった『新建築』昭和17年8月号によると、同展覧会の会期は、昭和17年7月10日から10月10日まで。 朝日新聞の縮刷版を見ていたら、幾つかの事実が判明したので報告しておこう。 同年7月12日付け夕刊によ…

平井金三の厄年

『漱石研究年表』。これを労作と言わずして何を労作と言うべきか。 しかし、同書にしても不詳とされる人物がいる。 大正5年1月6日の条によると、 野上豊一郎・内田百輭・松浦嘉一連れ立って来る。野上豊一郎、胡桃だけで十二年生きている男の話をする。平井…

日本における「ムー大陸」受容史

藤野七穂「偽史と野望の陥没大陸“ムー大陸”の伝播と日本的受容」*1によると、日本で最初にチャーチワードの「ムー大陸」が紹介されたのは、昭和7年8月。三好武二により『サンデー毎日』の同年8月特大号と10月2日号で紹介されたという。同論考には漏れている…

国会図書館副館長中井正一に黙祷

中井正一国会図書館副館長の名前が秋田雨雀の日記に出てくる。 昭和27年5月25日 午後一時から築地本願寺の中井正一君(国会図書館副館長)の告別式に行く。中井君は進歩的な人だったが、胃ガンで倒れた。金森徳次郎氏が葬儀委員長をしていた。高津正道、山本…

秋田雨雀とポール・リシャール

『秋田雨雀日記』第1巻によると、 大正5年5月31日 今日はなにもしなかった。しかし気持は悪くはない。すこしねむいので、午後入浴後、床につくと、エロシェンコ君と里見君がきた。フランス人でリシャール(東洋哲学者)という人がアレキサンダー女史のところ…

昔話の神様関敬吾

戦前、東京帝国大学附属図書館の司書官だった山田珠樹の回想*1によると、 あの当時の東大図書館は和漢書係、洋書係と二つの大きな系統に仕事が截然と分かれてゐて、二名の司書官が各々その一つを主裁して、仕事をする場所も建物の両翼に分れ、互に相犯すこと…

戦時下のトンデモ狩り

戦前のオカルトバスター小谷野敦、じゃなかった、トンデモバスター島田春雄。 例によって、小島威彦、藤澤親雄に対して厳しく攻撃している。 『東亜文化圏』昭和18年7月号所収の「文化時評」(志村陸城、島田春雄、藤村又彦、窪田雅章による座談会)によると…

スメラ学塾の機関紙「スメラ文庫」

内務省警保局編『昭和十六年中に於ける社会運動の状況』中の「国家(農本)主義運動」の第二「団体情勢」の三.私塾的団体(四)スメラ学塾には、 本塾は日本的世界原理なるスメラ学体系の普及徹底、日本世界維新の建設的戦士の養成、会員の指導養成を目的と…

市河彦太郎と松下三鷹を結ぶ線

市河彦太郎・谷川徹三は「草の葉会」会員、谷川徹三・高木惣吉は「思想懇談会」会員、高木惣吉・松下三鷹は面識あり。 偶然かもしれないが、市河と松下はつながっているのだね。