谷崎潤一郎や坪内逍遥の名を騙ったとされる倉田啓明。6月12日に紹介したところである。
その倉田と逍遥の関係に疑問が生じてきた。
逍遥の日記によると、
大正6年1月17日 倉田啓明より脚本稿を、イプセン模倣ニテ物に成らず
6月25日 朝 倉田啓明 「葛城の神」を持参す、活動の脚本を書して見よと勧む
7月22日 倉田啓明より又々哀訴し来る
7月23日 倉田へ十円を与ふ
8月4日 夕刻倉田啓明無心に来る 辞る
細江光先生が紹介した『東京日日新聞』(大正6年12月17日)によると、倉田は、8月15日逍遥の紹介状を偽造して『黒潮』に「結搏葛城の神」を売りつけようとしたとのこと。逍遥への無心を断られた直後の犯行だ。よほど金に困っていたのだろう。
また、同紙(同月13日)には、「神田三崎町三の一芸美協会内倉田啓明」とあり、また、倉田が立教中学出身で江見水蔭の門下と自称していたとあるとのこと。一度は金を与えていることから、坪内と倉田の関係は浅からぬ物を感じるが、いったいどういうつながりがあったのだろうか、不明である。