神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2007-08-01から1ヶ月間の記事一覧

『炭焼日記』に「興亜日本社」を見かける

柳田國男の『炭焼日記』は、詳細な注釈付きで刊行してほしい著作である。大塚英志氏も同日記にトンデモない人達(増田正雄、岡田建文ら)が登場していることを発見している。 「興亜日本社」というのは、「書物蔵」によると松下三鷹の著作を刊行する予定であ…

藤澤親雄と共に「草の葉会」会員だった市河彦太郎

『わが師わが友』(筑摩書房、1951年)所収の谷川徹三「有島武郎さんとその頃のこと」によると、 有島さんに初めて会つたのは大正六年である。先生が四十歳の年で、私は一高の生徒であつた。(略)八木澤善次と市河彦太郎の二人につれられて麹町のお宅へ行つ…

昭和最大の怪物矢次一夫と清水精一

戦前、大蔵公望らと共に国策研究会*1を創設した矢次一夫(やつぎかずお。1899-1983)。大宅壮一は矢次を「昭和最大の怪物」と呼んだという。 その矢次が、サンカ文献『大地に生きる』の著者清水精一に出会っていた。『現代史を創る人びと(4)』(毎日新聞社、…

谷川徹三と昭和通商

阿部次郎の日記*1に、陸軍の軍事課長岩畔豪雄により創設された昭和通商(6月23日参照)が登場している。 昭和16年8月8日 午前谷川徹三「昭和通商」調査課の男を連れて話をききに来る。正午過ぎまで、午後谷川を案内して骨董屋めぐり(出光、政本)、春日にて…

西田幾多郎と高木惣吉

西田幾多郎の日記によると、 昭和14年2月18日 大磯原田[熊雄]方へ行く高木[惣吉]といふ海軍士官、野村[吉三郎]大将、池田成彬 七時頃帰宅 16年9月11日 午後和辻[哲郎]、谷川 高木惣吉、天川[勇]来訪 18年7月12日 夜高山、西谷、鈴木来訪(舞鶴[高木惣吉訪問]…

海軍省調査課長高木惣吉が語るスメラ学塾

「書物蔵」でわしも見てないスメラ学塾に関する先行文献が紹介されている。 そこで、またまたスメラ学塾ネタの紹介。 松下三鷹が登場する高木惣吉の日記には次のような驚くべき記述がある。 昭和14年1月19日 一.参謀本部第四部ニ国防研究室アリ、高島[辰彦]…

三角寛以前のサンカ小説(その2)

サンカ文献の一つ、清水精一『大地に生きる』によると、 曽つて中村吉蔵さんが「無籍者」といふ脚本を書かれたものがあるが、これはポンスの一部を表はして居るものである。また、大朝、東朝の夕刊小説に「照る日曇る日」といふものが掲載されたことがある。…

松下三鷹と海軍

「書物蔵」で特集された松下三鷹が、海軍の高木惣吉の日記*1に出てきた。昭和17年12月23日と18年1月25日の条に「松下三鷹氏来訪」とあった。それだけで、松下についての詳しいことがわかるわけではないが、よもや日記の中で松下の名前に出会うとは。なお、高…

江見水蔭の死に泣く鶯亭金升

村井弦斎の死について言及した日記は見つからないが、江見水蔭の死について言及した日記があった。鶯亭金升の日記*1がそれで、昭和9年11月13日の条に次のような記述があるという。 江見水蔭氏伊予の松山にて死去の由。行年六十六歳 明治の昔 通油町の山岸商…

曽野俊輔と宮川曼魚

谷崎潤一郎の無名時代の知り合いとされる曽野俊輔は、宮嶋資夫の『遍歴』に出てくる。 河上肇の『社会問題研究』*1が出てゐた頃、私が友人曽野俊輔に貸したところ、曼魚は慌てて仲田勝之助からそれを借りて机の上にのせた。そして曽野に、深川でこれを読んで…

東亜研究所の金森徳次郎

石射猪太郎の日記にも東亜研究所が出てきた。 昭和18年9月14日 ○大蔵[公望・東亜研究所副総裁]男来訪、東亜研究所に力をかして呉れとの相談也。 9月17日 ○金森徳二[次]郎氏来訪、東亜研究所との協力方。 10月20日 ○夜東亜研究所の招待を受け木挽町京亭と云ふ…

地名こそ神代文字なり!

東亜研究所が柳田國男の『炭焼日記』に出てくる。 昭和19年11月5日 鏡味完二君来。東亜研究所に在り、印度のことを担当すといふ。地名の研究をするといひ、その話をきゝに也、茶一袋くれる。 鏡味は戦後も地名の研究を続けている。『日本の地名』(角川新書…