神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧

『日本アナキズム運動人名事典』で坂本紅蓮洞を読む

『日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版、2004年4月)は、「水木しげる」まで記載されているなど、通読しても面白そうな本である。私は、通読まではしていないが、だれが記載されているかだけは見た。 坂本紅蓮洞について見てみると、 坂本紅蓮洞 さかも…

女が変態研究者となったとき

ほっておいた、菅野聡美『<変態>の時代』(講談社現代新書、2005年11月)を遅ればせながら読んだ。 ここで自己紹介させていただきますと、私は日本政治思想史を専門とする大学教員です。政治と恋愛?と不思議に思われるでしょうね。事実、この分野で恋愛を…

櫻澤如一と福田把栗

福田把栗という人について、『日本近代文学大事典』を引くと、 福田把栗 ふくだはりつ 慶応元・?〜昭和一九・九・一〇 僧侶、漢詩人、俳人。和歌山県新宮に生れた。名は世耕、詩に静処、絵に古山人の名がある。漢詩人として早くから名を成し漢詩集『逍遥集…

チェコ絵本とアニメーションの世界展

目黒区美術館で上記展覧会が開催中みたい。南陀楼綾繁さんが好きそう。KAWADE道の手帖として出る「長新太」も同氏のためにあるみたいものかしら。

ロシア文学者片上伸の海外逃亡?(その2)

片上伸のロシア旅行に関して追記したけれど、量が多くなったので、出国以前と以後に分けることとした((その1)は12月25日)。 大正13年 6月30日 片上妻来 7月5日 片上妻、いよいよ退京ときめしとて来 7月6日 日高、宮島新三郎来、片上の件 7月7日 吉江来…

「二六新報」の秋山定輔

日本新聞博物館で、既に「言葉の戦士 涙香と定輔−明治新聞人の気概を知りたい」展が、開催中(4月22日(日)まで)。以前(1月21日)、「二六新報」の秋山定輔って知らないと書いたけれど、長山靖生『日露戦争』(新潮新書)に出ていた。すっかり、忘れてい…

英文学者織田正信と坪内祐三

織田正信を『日本近代文学大事典』で引くと、 織田正信 おだまさのぶ 明治36[ママ]年12月16日〜昭和20年9月11日 英文学者。東京生れ。昭和二年東大英文科卒。陸軍士官学校、学習院の教授を歴任。有島武郎に関し、その英文日記訳者として知られ、論考、解説も…

慶應義塾の“図書館内乱”

『慶應義塾図書館史 | 慶應義塾大学メディアセンター』(←ネットで見られる)の面白さは、過去に紹介したけれど、館内の派閥についても言及されている。 庄内閥の代表選手として、国分剛二という人が登場する。この人は、明治25年鶴岡に生まれ、大正8年雇員…

嶋中雄作の一周忌で谷崎潤一郎と出会ったある男

ある人の日記に次のような一節がある。 昭和25年1月17日 午後一時嶋中雄作氏一周忌(築地本願寺)に参列、初めて谷崎潤一郎氏に面会。 彼はこの時、かつて自分が『東洋時論』明治45年3月号で谷崎の作品について、次のように書いたことを覚えていたであろうか…

『R25』も雑誌記事索引に収録して。

リクルート社のフリーペーパー『R25』は、その本来の対象年齢や性別を超えて、読まれている。国会図書館にもしっかり納本されている。女性版の『L25』は人気がないせいか、納本がされていない(笑 わしとしては、『R25』の圧倒的な影響力から言って、…

秋田雨雀は見た!三上於菟吉と長谷川時雨の同棲(その2)

『秋田雨雀日記』第1巻からの引用を続ける。 大正9年3月6日 午後二時から、築地本願寺の中谷徳太郎君の法事に出席した。中谷は木場材木商関係の家の子供で、文学青年として長谷川時雨女史と親しんで、後では同棲生活をしていた。早稲田の文科の聴講なぞをし…

秋田雨雀は見た!三上於菟吉と長谷川時雨の同棲

秋田雨雀は頻繁に三上於菟吉の許を訪問して日記に記録を残してくれている。 大正5年11月18日 三上君のところで長谷川時雨女史と、徳田秋江君にあった。 大正6年1月22日 夜三上於菟吉君のところへ寄ったら、今井白楊君と長谷川時雨女史がいた。徳田秋江君もい…

昭和32年正月の谷崎潤一郎・松子夫妻

昨年11月16日に言及した野上彌生子の日記(昭和32年1月1日の条)で谷崎潤一郎が「ラヂオ年賀状」に登場したという話。 当日の朝日新聞によると、NHK第一放送で午前8時から8時30分まで「ラジオ年賀状」として、滝川幸辰、波多野勤子とともに名前が挙がってい…

拝啓 『契丹古伝』様

「日本資本主義の父」、渋沢栄一は数多くの株式会社を作っていただけではなく、偽史運動とも多少関係があったようだ。 渋沢の日記*1によると、 昭和2年3月8日 浜名寛祐氏来り日韓正宗溯源ヲ著作セシ由ニテ其成本ヲ示シ、且、賛助ヲ請ハル、即チ同意シテ成本…

帝国図書館員朝倉無声の末路

帝国図書館を「諭旨免職」により追われたと思われる朝倉無声。 彼を帝国図書館長田中稲城に紹介した早稲田大学図書館長市島春城は、その経過を田中から聞いているはずだが、市島の日記によれば、朝倉をめぐる不祥事への言及はない。それどころか、朝倉の退職…

「いやーん、ばかーん」の謎に迫れるか?

小谷野敦氏が、 「いやん、ばかん」という表現はいつから始まったのかと思って、米川昭彦『日本俗語大辞典』を見たが「いやん」しかなかった。多分誰かが使い始めたのだと思うのだが、誰か教えてほしい。 これを見て、思い浮かんだのは、ドリフターズ、ハレ…

森鴎外と谷崎潤一郎・精二兄弟

『日本文壇史』第19巻を紐解いていると、驚いたことに、森鴎外が日記に谷崎潤一郎との初対面について記しているとある。幾つか読んだ潤一郎の伝記には、そんなことは書いてなかったと思う。鴎外と潤一郎に面識があるとは・・・ 早速、鴎外の日記を見てみると…

加能作次郎と谷崎潤一郎・精二兄弟(その3)

加能作次郎と谷崎潤一郎の初対面について、2月4日には明治45年3月10日開催の「森の会」と推測したけれど、それ以前であることに気がついた。 明治45年1月4日に紅葉館において読売新聞社主催で開催された新年宴会に潤一郎が招待されたことはよく知られてい…

武侠社に関するメモ

1 『秋田雨雀日記』第2巻から 昭和5年7月3日 (“犯罪科学”十五枚。(略)) 昭和5年7月5日 (犯罪科学“ソヴェートの性問題”芝区南佐久間町二ノ一八伊藤隆文。(略)) 昭和5年7月10日 「犯罪科学」のために“ソヴェートに於ける恋愛の社会化”について十五枚…

三上於菟吉と早稲田大学応援団長吉岡信敬

三上於菟吉というのは、長谷川時雨の内縁の夫だった人らしいが、早稲田大学時代、吉岡信敬の指揮下で応援したことを回想している*1。 そして、同時に、二十二三年前、その当時の早稲田応援団長吉岡信敬氏に指揮されて、Wと白く染抜いた赤い三角旗を振つて、…

早稲田大学応援団長吉岡信敬にとうとう出会う

ヨコジュンさんの著書でその名前を知った吉岡彌次将軍こと、吉岡信敬。その名前を著名人の日記の中に見つけた。 まずは、坪内逍遥の日記(『未刊・坪内逍遥資料集』第3巻)から。 大正14年5月24日 朝 吉岡信敬来、電力会社慰労会にて青柳有美も同伴のよし ヨ…

中央公論編集者雨宮庸蔵と谷崎潤一郎(その2)

ある人(志賀直哉に非ず)の日記に、 昭和10年2月2日 父さんは二時過嶋中氏と出版部長の雨宮氏と云ふのに会見。四冊で六円のものして、四月から配本して七月には出して仕舞ひ度い意向の由、謡曲をよみものとした全集は佐成氏のもの以外には近ごろ出ず、それ…

中央公論編集者雨宮庸蔵と谷崎潤一郎(その1)

中央公論の編集者に雨宮庸蔵という男がいた。 『志賀直哉全集』第16巻(岩波書店、2001年2月)の「日記人名注・索引」によれば、 雨宮庸蔵 あめのみやようぞう 明治36・1・1−平成11・12・2 通称「あめみや」。早大社会哲学科卒。昭和3年9月11日、中央公論…

加能作次郎と谷崎潤一郎・精二兄弟(その2)

加能作次郎については、松本八郎『加能作次郎 三冊の遺著』(スムース文庫、20005年9月)に詳しいが、同書に参考文献して挙げられている谷崎精二「酒友、碁敵」(『早稲田文学』8巻9号、昭和16年9月)によると、 僕が学生時代、何か学生の会があつた折に島村…

加能作次郎と谷崎潤一郎・精二兄弟

加能作次郎という名前も講談社文芸文庫『世の中へ・乳の匂い 加能作次郎作品集』の刊行により、少しは知名度がアップするか。私も、つい最近まで知らない人だったよ。 『加能作次郎集』(富来町立図書館、2004年11月)によれば、 明治18年1月 誕生 明治40年4…

国木田独歩と秋田雨雀

正直言ってこの二人の関係はよくわからない。劇作家秋田雨雀の年譜上は、「国木田独歩」は二度登場するが、いずれも独歩の死後である。該当部分の『秋田雨雀日記』第1巻、第3巻を引用すると、 大正8年5月10日 六時から独歩会へ出席。五十四、五名。晩餐中、…

坪内祐三の母と秋田雨雀

劇作家秋田雨雀の日記*1を読んでいたら、思わぬ拾い物があった。 昭和24年6月16日 坪内という女の童話作家*2(井上通泰博士孫)が訪ねて来られた。 昭和24年9月17日 朝、坪内泰子君が蛤をもってきてくれた。船橋のおじさんの家にいる。 井上通泰(柳田國男の…

帝国図書館員朝倉無声、出勤に及ばず!

朝倉無声が帝国図書館の朝倉とすれば、朝倉治彦は国会図書館の朝倉と言うべきか。もっとも、前者はほとんど無名に近い人、後者は図書館界でこの人を知らなければモグリと言われるぐらい有名な人(なのだろう)。 さて、その朝倉治彦は、幸田成友との出会いに…