神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

嶋中雄作の一周忌で谷崎潤一郎と出会ったある男


ある人の日記に次のような一節がある。


昭和25年1月17日 午後一時嶋中雄作氏一周忌(築地本願寺)に参列、初めて谷崎潤一郎氏に面会。


彼はこの時、かつて自分が『東洋時論』明治45年3月号で谷崎の作品について、次のように書いたことを覚えていたであろうか。


二月の創作の中では、特に谷崎潤一郎氏の「悪魔」(『中央公論』)、及び中村星湖氏のもの三つを注意して読んだ。
谷崎という人は近頃大分に評判のある人である。しかし自分はこの人のものは唯だ三つ、而かもその中の一つは先日尾後家君の南北社へ立寄った時に、店頭でちょっと立読みして見たような次第であるから、正当に読んだといわるべきは、「秘密」と、この「悪魔」との二篇である。
(略)
他の作品に於ては知らず、この二篇だけで見た処では、この人は人間の書けない人だ。こういう種類の事を書く作者も世に在って差支えないが、しかし自分は、斯くの如きは真に現代に生きた作者ではないと思う。尤もこれは決して谷崎氏の将来をいうのではない。将来はわからない。唯だ「秘密」などをもって偉い作品のように言い囃す人の気が知ないのである。


赤い彗星だったか、どうかはともかく、彗星のごとく、文壇に登場した谷崎だが、必ずしも好意的な評価ばかりだったわけではないのだね。作家の将来は、本当にわからないものだ。かつての「人間の書けない」新人が、文豪となって、元東洋時論の記者の前に現れたわけだから。


いや、作家だけではない。人間の将来は本当にわからないものである。この元記者は、当時公職追放の身であったが、後に内閣総理大臣となる。そう、石橋湛山その人である。


注:引用は、『石橋湛山日記』上巻(みすず書房、平成13年3月)、『石橋湛山全集』第1巻(東洋経済新報社、昭和46年1月)中の「二月の論文と創作」