加能作次郎と谷崎潤一郎の初対面について、2月4日には明治45年3月10日開催の「森の会」と推測したけれど、それ以前であることに気がついた。
明治45年1月4日に紅葉館において読売新聞社主催で開催された新年宴会に潤一郎が招待されたことはよく知られているようだが、ここに加能も招待されていた。1月5日付けの読売新聞(『新聞集成明治編年史』第14巻、財政経済学会、昭和11年6月)によると、出席者は
宮本和吉、高嶋米峰、中澤臨川、児玉花外、後藤宙外、中島孤島、水谷竹紫、橋口五葉、吉井勇、泉鏡花、正宗得三郎、長谷川時雨、笹川臨風、横山大観、内田魯庵、徳田秋聲、高安月郊、谷崎潤一郎、森田草平、上山草人、上山浦路、夢野千草、生方敏郎、加能作次郎、昇曙夢、武田五一、小川未明、秋田雨雀、片上伸、吉江孤雁、長田幹彦・秀雄、乙骨三郎、中村星湖、仲田勝之助、織田哲太郎、沼波瓊音、坂本紅蓮洞、結城素明 など
読売側からは、横山健堂文芸部長、上司小剣社会部長、黒田鵬心など
何をもって初対面というかにもよるが、その可能性がある最も古い日になる。
瀬沼茂樹『日本文壇史』第21巻(講談社文芸文庫、1998年4月)を参考にしました。ちなみに、同書は基本書で研究者や文壇通とされている人は少なくとも一度は読んでいるはずだが、今一度、人名索引(『日本文壇史総索引』)を利用して、関心のある人物の部分だけでも読み直してみるべきであろう。
加能については、小谷野敦版谷崎潤一郎詳細年譜とまではいかなくとも、いずれより詳細な年譜が求められるかと思われるので、参考までに既に紹介した他に『秋田雨雀日記』第1巻から加能が登場する箇所を引用しておこう。
大正9年1月7日 夜、「早文」の新年会が永楽倶楽部にあった。金子、中村、前田、本間、島田(青峯)、加能、西宮、宮嶋、森口、吉田の諸君、森戸助教授の事件につき、談話。
(森戸助教授のクロポトキン問題が世間の問題になっている。)
大正13年1月3日 夜、川鉄で早稲田文学の新年会。中村(吉)、生方、本間、加能、小川、宮島(新)伊藤貴麿の諸君出席。(略)加能君は歌っている。